日曜日, 7月 15, 2007

ジャパンマスターズスイムで100mフリーに出場して

同じチームからは、当日私だけの出場だったが、
ありがたいことに家族が応援にきてくれた。

他の選手達はそれぞれ知り合いやらと話していて
場なれした雰囲気の人が多く、自分だけが初めてきた
プールで勝手がわからないように感じて、最初からちょっと
気おされていたところも多かった。

サブプールでウォーミングアップに400mぐらい泳いだ。

召集やらで遅れないよう気をつけて、
ゴーグルも飛び込みで外れないよう思いっきりきつくして、
あとはリラックスして、効率よく泳げるようにしてと
考えていたのだけど、スタート台でリラックスするつもりで
伸びをしている間に、みんなスタートしてしまい、あわてて
スタートをきった。
(後から家族からきいたら 他の選手より一秒くらい遅かったのではないかとのこと)

スタートするともうリラックスどころではなく、おまけにスタートで出遅れていて、
あせりにあせる。隣のコースの選手のスピードが自分とほぼ一緒で、
スタート分だけ僕の前にいるので、その人を緩やかに抜かすことができる
くらいのペースで泳ごうとした。頭の中では80%の力のつもりなのだけど、
あとから考えると90%の力が出ていたと思う。

50mのターンで、その横の人を抜き、自分が4コースだったこともあり、
これで自分がトップにたったかと思った。(後から家族にきくと、1コースの
ひとがずっとトップだったそうだけど、その人は申告タイムで10秒くらいは
サバを読んでいたことと思われる)

そのままなんとかペースを保とうとしていたけど、プールの真ん中あたり
75m付近で、腕が、そしてそれから、身体全体が、もう少しも動かせないと
感じるくらいになってしまった。でもここで、リタイアどころか、スピードも
落としたくない、なんとかゴールまでもたそうと、意志の力だけで
無理矢理からだを動かしつづけるが、スピードが情けないほど
一気に落ちてきた。最後はタッチ板すらヘロヘロでたたくことも
できず押すかんじだった。

プールから上がることすらやっとだった。

それから着替えて、ボンヤリしていると、下の娘に背中をつつかれた。

「パパねえ、途中で2番になったのに最後に2人に抜かれて4番だったよ」

着替えて、帰り道でも、汗が大量にでてきて、Tシャツがびしょぬれになって気持ち悪く
駅で脱いでそれを絞ったら、汗がたれた。家族は僕と他人の不利をし、
そのホームにいた若い女性達は怖がっていたといことだ(家族から聞いた)。

途中で家族の買い物に付き合って家に帰って、ビールも飲んだりしたけど、
夜になったら、頭が激しく痛くなって、吐き気がとまらない。
トイレに6回も駆け込んで、吐き続けた。

自分ではあの最後の25mで身体にすごい無理をかけてこうなったのだと思う。

本当は今日は50mの自由形にでるはずだったけど、昨晩からの状況から
これ以上無理をせず棄権した。

インターバルトレーニングもやれず、所属しているスイミングクラブの練習にも
ついていけないから、もう参加しておらず、いくらも練習もしてないし、体力も十分には
回復してないから、遅いのは当たり前なのに、それでも遅いことは残念なことだと
つくづく思った。健康や仕事になるべく悪影響のない範囲で、少しずつでも
納得のできる泳ぎができるようになりたい。

15年ぶりの水泳の試合だったけど、それを通じて15年前までのことが
一気に思い出されてきた。妻に会う前までのこと。

実は今回、試合に出ようと思った理由の一つには、上の娘が気持ちを変える
何かのきっかけになればという思いもあった。

上の娘は(算数はひどすぎだが)水泳もバイオリンも才能はあるらしいのに、
頑張らない。集中することがない。水泳もスグ上達しながら選手コースは
大変そうだからとさっさとスイミングクラブもやめてしまっていた。

それが、その僕のカッコ悪いレースをみたら、面白そうだからと
市民水泳大会に出てみたいと、自分から言い出してきた。

気持ちは通じる人には何も言わなくてもそのまま通じることもあるんあだなあ。

今回僕は、この試合に努力どころが準備をして臨んだとも
いえないけど、それでも、そういうものにでることで、
このしらけた日々に少しは刺激になればと思って出てみた。

そして実際それはちょっとは刺激になった。

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