月曜日, 4月 27, 2009

良く寝て水泳、温泉、カレーつくりの週末



青根癒しの湯からの帰り道から。
何のことはない写真だけど、この日は前日の
大雨と二日続いた強風と良く晴れたおかげらしく、
遠くの山まで緑がくっきりと白っぽく霞むことなく良く見えた。

ピンチなのに危機感がわかないまま日々を送ってる。

今まで自分の過剰なまでの危機感を 自分に生まれつき備わった
アンテナのようにして生きてきたので、なんだか自分が大きく
変わったような感じがしている。

大切な家族もいるけど、もうなるようにしかならん。
やることや やれることは もちろんやってみるけど。

さて、土曜は雨でずっと家の中で 雨だと良く眠れて、昼も眠った。
土曜の夜にプールにいって、またまた、ダラダラと泳いだ。
練習会を横目でみながら。

僕も練習会に参加している人に負けないくらい水泳は好きなのだけど、
どうも今はあれほど追い込んで泳ぐ気になれない。

日曜は良い天気だったけど、午後になっても子供達を
どこにも連れ出さないのもかわいそうかと思いきいてみると
また青根の癒しの湯に行きたいというので、連れて行った。

菜花のオヒタシというのを食べたら、これが適当にしゃきっとしていて
おいしさをそのまま味わえて絶品だった。

子供達が、先週と同じカレーをまたパパが作ってというので
張り切ってまたつくって、夕飯と翌月曜の朝飯にした。

子供も妻もバクバク食べるのがみていても面白いので、
また作ろう。

もっとニンニク少なくするつもりが子供たちの強い希望でまた一個分いれた。

鶏肉といためるときに、厚めにスライスしたニンニクを軽めに炒めて
そのままカレーにいれて煮ることで、子供たちが喜ぶくらいの
ニンニクの欠片が適度な加熱具合でできあがらるのと、
カレーに入れる前にオリーブオイルで炒めることで、
脂溶性ビタミンの消化吸収率がよくなるのではないかと。

それにしても、このピンチに、この危機感の湧かなさは、
自分が別人になったような感じすらしている。

これでいいのかわかんないけど、もうともかくカリカリできなくなっている。



土曜日, 4月 25, 2009

光と影 で思い出す人

ときどき思い出す人のこと。

彼に初めて会ったのはもう16年くらい前のことだった。

僕は当時勤めていた会社の売上げデータを調べて
ほとんど知られていない会社が驚異的な売上げを
立てていることを知り、どうしてもその会社に会いたくなった。

それで連絡をとって新宿のホテルのロビーで待ち合わせをした。
来たのは、自分よりも若い溌剌とした若者だった。
名刺には営業本部長と書かれていた。

でも話始めると、実は自分は社長で、会社を一人でやっている
とのことだった。

彼は一人で、大塚商会の半分くらいの売上げを当時僕が勤めていた
会社の 製品であげていた。

とても驚いたので、そのときのことをよく覚えている。

彼は順調に利益を伸ばし、自身を深めていた。

それから、しばらく連絡をとっていなかったが、
彼の会社は倒産し、彼は個人的にも破産した。
その前後彼は命を失いかけるほどの病気をして
入院生活を何回もした。

希望に燃えて頑張る精神的なエネルギーが強いほど、
絶望はその人の身体まで焼き尽くしてしまう。

彼は深い鬱病にまでなってしまっていた。

その中であがいていた。

彼は自宅を失い。愛する家族を置いて
海外へ単身で行って再起をかけることとなった。

そこから、彼と連絡とってないし、連絡先ももう
わからない。

でも、はたからみていて、彼が順調だったときより
むしろ逆境のときも、彼はとても真剣に生きていた
と感じさせられた。

彼の心がより強く反応しているように感じられたから。

僕は彼ほどの光も影も経験してない。少なくとも未だ。
彼を通じて、興味深い人々に会った。

その中には、最近自分の会社を数百億円で売却した
人もいる。

彼も僕ももう40代だけど、また面白いことを
やりたい。何とか彼を見つけ出す方法を見つけたい。

またどこかで彼に会えるよう方法を探してみたい。

木曜日, 4月 23, 2009

幸せのちから か


僕はまだこの 「幸せのちから」 という映画をみたわけではない。




でもみたらウッときてしまいそうだ。


今の状況は例えば去年の年末と比較しても

もっとピンチなのだけど、もう危機感が湧いてこない。


自分を自分で駆りたてられない。


何かしなければいけないのは火を見るより明らかなのに。


もう身も心もカリカリすることを芯の中から拒否しているような。

でも娘達をみていると、やっぱりできることを見つけ出すしかない、

また走るしかない。今までよりもは方向性をだしたい。

火曜日, 4月 21, 2009

泳いだ後に夜のベンチで読書

自分の言っているスポーツクラブは夜中の1時までやっているのが
売りだったのに4月から12時までとなった。

昨晩は11時15分くらいにつきプールサイドについたらもう11時20分
残されて時間を全力で泳ぎ、体が熱くなってくると50mを45秒ペースで
泳げた。でも900mくらいでクロールを止めて、あとは仰向けでのバタ足を
10分間やった。短時間だけどかなり心地よく疲れて、帰り道にある
ゼファーという動物病院のベンチで買ったばかりの本を読んだ。
家はもうすぐそこだけど、すっかり暖かくなって夜風が気持ちよかった。

本は45歳から人生云々かんぬんというものだったけど、内容は軽かった。

多分、確かに45歳にもなれば人生半分くらいは来たことになるのだろうけど、
実際できることは目の前のことで、自分は計画の立てるような生き方そもそも
してきてないし、過去も未来も切り捨てて、今のことに集中するほうが
僕にはまだましなんじゃないかとベンチに座りながらおもった。

心地よい夜風に吹かれながら。(ホームレスはこんな感じのときおおいんだろうか)



日曜日, 4月 19, 2009

3回料理、一人散歩、深夜一人水泳、一人バイク


多摩御陵にあった花の中 (娘が友達と遊んでいるので一人で散歩してきた)
花の中に入ると不思議な世界だった。


その花を外から見たところ 



いつもバイクで行っている陣場山の近くの饅頭屋の
うどんのつけ麺、歯ごたえがあって無骨な
ちょっと精白されていない麺としょうゆ味が
濃いショッパイ汁の組み合わせがうまかった。
久しぶりに天気の良い中でバイクに乗るとまた
ジーンと嬉しかった。

それじゃ毎日乗れば良いと思われるかもしれませんが、
音楽と一緒で、同じ曲を聴き続けると飽きて楽しくなれなく
なるようなもので、たまに乗ると飽きなくて感動を思い出して
最高なのである。

この週末は3回家族と子供のお客さんにまで
料理をつくった。普段家事を全く手伝わない私と
しては大事(オオゴト)である。

前々回のブログにも書いた料理は、思った以上の出来だった。

豚のばら肉をスーバーで安く売っていたのでこれを
まとめて買ってきて、大きいフライパンで高熱で
油だけ敷いてあとは何もいれないでいためて、
舞茸、ブナシメジ、シイタケをいれて、いためて、
多少豚肉のにおいがきついようなきがしたので
しょうがを多めにいれて辛味が残らない程度に加熱して
から、最後のギリギリで塩だけいれた(これ最後でないと
浸透圧の関係で材料の水分がでてうまくないと考えた。)

こんなに適当につくったのにとてもおいしくて家族も喜んで
食べてくれた。他にも海苔、アボガド、白菜の漬物等も
おかずにだしたので、栄養バランスもよいはずであった。

さらに、材料代もとても安く抑えられた。

翌日、娘の友達が2人自宅にきていて、
まとめて即席ラーメンで昼飯を私が作ることとなった。

即席ラーメンは一人前づつくるのが一番うまい。
ところが6人前つくる必要がある。

それでお湯を大量に沸かしておいて、
一人前づつ、ドンドン作り始めた。
麺を茹でているとき混ぜないことと
材料をいれても温度が下がらないように
最後まで仕上げること
どんぶりによそって口に運ぶときに
ちょうど良いくらいの面の硬さになっていることが
大切だと思っているので、多少麺がほぐれたら
すぐにどんぶりに移すのである。

これもあまあまあのできであった。

さてその晩はカレーを12皿分作った。
カレーのうまさをきめるのは玉ねぎを大量に狐色に
なるまで炒められているかだと堅く信じている私は
玉ねぎでなべが半分以上になるくらいまで
みじん切りにして入れ込み、多少鍋底に焦げ付く
まで炒めた、それに残っていたしいたけ、ジャガイモ、
にんじん(小さめにがんがん乱切り)等をいれ、
それと別に鶏肉を別のフライパンでオリーブオイルと
ニンニクで炒めてからカレーなべにいれて、
最後にカレールーをいれてつくった。

これもうまかった。けど、自分で作っておきながら、
多少しつこいかなと(ニンニクの入れすぎかな)
夜食べたときはとてもうまかったけど、
それを翌日も食べるとうまいけどちょっと飽きた。

土曜の深夜はまたプールにいってちんたら泳いできた。
マイペースで泳ぎ続けていると気持ちよいのに
ちょっとペースを上げるとすぐに息がきれて続かなくなる。

僕はともかく水泳を楽しむことを第一に考えているので、
マイペース水泳を続けて楽しんで、その結果として速くなれるなら
それでよし、なれないならそれでもしょうがないやというスイマーなんだ
と再認識した。

土曜日, 4月 18, 2009

我家の猫たちも大きくなりました。



避妊手術にもめげずに淡々と生きております。



窓辺から外を眺めるのが好きなんですね。



睨まないでチョー起こして悪かった。





自分の前足がよい枕代わりになっている。スヤスヤ。

我家の猫たちも大きくなった。オスネコのほうは6Kg(5Kgだった)くらいだそうだ。

この猫を持ち上げてスクワットすると、結構よい運動になる。

自宅に猫がいるのもそこそこ面白いものです。

理由なんか見つからなくても自分を信じること

水泳なんとか少しずつだがまた泳げるようになってきた。
でも練習会に参加できるほどでない。

それでもともかく水泳が好きなので、だんだん今より
うまく もっと自然に泳げるようになってもう中年
だけど、今より早く泳げるようになるとバカのように
信じている。

理由なんてわからなくても。

一昨日の深夜にともかく20分連続で泳いだ。
すぐ息が苦しくなるから、ターンは手を着いて
一呼吸して、50mは50秒くらいのペースで。

それで20分泳いだら、4月から上級者向けの練習会を
見ているコーチがいた。練習会に誘ってもらったけど
どうするかは体調しだいだなあ。

でも理由はみつからなくても、いつかきっと今より速くなれると
信じている。45歳のくせして。

そしてまた8歳までにちょっと水泳教えてくれた父のことを
おもいだしてみたりするのである。

父が死んだときよりもう僕のほうが年上のくせして。

今日は豚肉と、3種類の茸と、ピーマンの炒め物をつくって
家族に好評で嬉しかった。

日曜日, 4月 12, 2009

酔っ払い書き書き実験 水泳とウィスキーのあと

金曜じゃなくて土曜の朝というか午前3時にねて
土曜の午前7時くらいに起きた。カリカリカリカリ
それで妻に言われた洗濯物もtってクリーング屋に
冬物大量にもっていったりしたけど、多分10くらいから眠り始めて
午後3時くらいまで眠ってしまった。

わしゴッツウ疲れタメっていたねん。

それから上の娘とまたいやしの湯にいって、
戻ってきてから、家にきていた妻の友人とその息子さんと
下の娘の友人とで焼肉で飯食ってから、

プールにいった。かなり回復してきたもののまだ十分には
回復してない身体でどこまで泳いだものかとおもいながら
ダラダラとプールに9時半から11時あ45分くらいまでいた。

帰りに「シングルモルト 余市 ニッカ」を買ってきて、
原液みたいなウィスキーを2杯のんでもう、半分意識が
とんだままこれを書いている。

今は午前2時。ああもう日曜か。

僕はともかく今も水泳と、バイクが好きで、
ゴルフは下手なままで、家族に助けてもらっていて。

仕事を何とかしなく茶ということにかわりはなく。

ああこんなに酔っ払っていても、僕は書くのが好きだ。
酔っ払うといつも同じこととを思い出す。
のであった。

金曜日, 4月 10, 2009

美しくて最高に速いスイマー ポポフ

つい見とれてしまった。
ポポフの泳ぎ。

http://www.youtube.com/watch?v=CIzBaSiWdRA


俺と何が違うんだろう。

って何から何まで違いまんがな。
まず体重へらさんと体型からして違いすぎだし。

でもなんて美しい泳ぎだろう。上体がこれだけ浮いて、腰ももちろん沈んでなくて、
キャッチからほとんど泡を立ててないし、水の上の浮いてヒョイヒョイと前の
スペースに身体を滑り込ませていくように最小の抵抗で進んで言っているみたいだ。

こういう美しいものに特に痺れてしまうのは、自分が美しくない状況にいるからかいな。

先週熱出して、病院行くと喘息と診断され、プール行くとまるで泳げず、
二月から勤め始めていた会社をわずか2ヶ月で辞め、

家族からも、友人からも、元同僚からも、知り合い全てから
いい加減、もう自分で商売やることを当然のごとく奨められても
何も思い浮かばず、

まだ回復しない体でプール行くと全然まともに泳げず、身体がともかく
グッタリしている。

いつ急に泳げなくなるかわかったものじゃないから、楽しんで泳げるうちに
泳いでおきたいものだと、強く思った。

そんな僕でも、新しい泳ぐ楽しみを見つけたのだ。

前を向いて、なるべくキャッチで泡を掴まないように、
腰の位置を高く保ているように、夜中になるべく人の少ないときに
(できればプールに1人で)泳ぐと、目の前に別世界のような光景が
広がるんだ。

指の隙間から、どうしても掴んでしまうわずかな泡の粒が
流れて顔の前までくる、目の前の透明で静かな水の壁が
みるみる流れていく(ポポフの70%くらいのスピードしか出せないけど)。

それはとても美しい。でもすぐに身体が動かなくなる。息がキレてしまう。

中年になっても技術的な進歩の余地は僕には何ぼでもあるのだ(今が経たということだけど)。

どう考えても自分が悪いとは思えないが、仕事の失敗が続いてへこみそうな
今に、昔僕と一緒に働いてくらた人達から、僕と一緒に働いて楽しかったと
知らせてもらえると、僕は何とも嬉しくて救われたような気持ちに
なるのであった。

水泳に救われているみたいに。

ああこういうこと書いていると、また暗いこと書いていると
多方面からお叱りをうけそうだな。

自分としてはそのとき思ったことを正直に書いているだけだから、

自分が暗いというだけなのかもしれんけど。

木曜日, 4月 09, 2009

ミスターバイクと佐藤信哉の21年前の思い出

---アップデート追加------------
バイク雑誌 風まかせ(佐藤信哉2016年現在の連載雑誌。)
 2016年6月号で バイクと犬と泥棒の話を書いている。

バイクは話の中心ではないのだけど、これも佐藤信哉さんの
人に対する優しい視点が垣間見える記事でした。

いつもおとなしい飼い犬が、バイクのタンクキャップだけ盗もうとした人に
対しては激しく追っかけるという話の顛末でした。

佐藤信哉さん、バイク関連商品のスポンサー受ければ稼げただろうに、
自分が自由であること優先してそれを受けなかった話も以前書きました。

えげつない商売しても稼ごうとする人にあうと、うんざりしますが、
そういうことでも彼は逆の人だったんだなあとまた思い出しました。


---要約追加-------------------
佐藤信哉さんの記事を、ミスターバイクでの
連載当初(1984年頃)から読んでいる者です。

バイクへの興味が強く、多くのバイク雑誌を自分でも呆れるほど
読んできた中で、一番印象に残る、好きなバイクの記事を書いてくれて
いたのが、佐藤信哉さんでした。

それは、バイクへの強い愛情、バイクを通じた体験の共有、
佐藤信哉さん自身が持っている闊達明朗な精神が
文章から伝わってきたからです。

1987年頃の冬と記憶しているのですが、
佐藤信哉さんは、初めて、ミスターバークの読者と泊まりかけの飲み会を企画してくれました。
それに参加して、雑誌から受けるカリスマ性やバトルスーツから受けるちょっと怖い印象とは
違い、驚く程気さくで、優しい人であることが分かりした。その時の記事がこの投稿の下部に
ある元記事です。(これがなんともう6000回も読まれて驚いて説明を追加しています。)

その後、2009年に佐藤信哉さんのバーンナイトという、朝までやるライブハウスでの
集まりと、その前の飲み会に参加して、佐藤信哉さんが昔と変わらぬ、心で今も
バイク好きでいることに感激して書いた記事がすぐ下にもリンクをはった
佐藤信哉さんと話して嬉しかったこと、生粋で永遠のバイク乗り  です。

ここで、じっくり話せてわかったのは、非常に簡単に言えば、
佐藤信哉さんは、隣のもの凄くバイクが好きな兄ちゃんで
かつ、自分の主張をきちっとスジを通す(普通の人ではできないくらい)、
そして自分の好きなバイクにとことん純粋な人だということでした。

おもえば、1960年代前半生まれは、バイク全盛期を過ごし、
そして、今も日本のバイク平均年齢がその世代という、

国内の新車バイク購入の平均年齢はなんと約51歳!

バイクに特別な愛着と思いのある世代なのでしょうね。
だから佐藤信哉さんは今、インターネットで検索し続けられて
私のこの記事を読んでくれる人がでてきたということだと理解しています。

バイクで楽しかったこと、苦しい旅だったけど、今や良い思い出となったこと、
それが心に蘇らせることができる、人はそれだけでも幸せです。 仲間です。

---更新情報-------------------
佐藤信哉さんは(2016年現在)は

”風まかせ” というバイク冊子の最初の方で
バイクに関わる出来事のコラムを書かれています。
昔とかわらない、味のある文章が読めます。

バーンナイトは現在続いているのかはわかっていません。

尚、同姓同名同漢字で数学者で有名な佐藤信哉さん
同じく、自転車競技で有名な佐藤信哉さんも
いらっしゃいますが、ここでは、ミスターバイクと雑誌で
活躍した、バイクで有名な佐藤信哉さんの紹介です。念の為。

当時の佐藤信哉さんがファイアーロード読んでいた
林道を走ったたのしい記事を集めた本は今も
中古で買えます。(2016年6月10日現在)

佐藤信哉のファイヤー・ロード

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この記事驚く程読まれているので、関連する記事(ミスターバイクと佐藤信哉
のリンクを張ります。

佐藤信哉さんと話して嬉しかったこと、生粋で永遠のバイク乗り

Mr.Bikeに掲載されたこと

今頃 ミスターバイクの休刊のこと

一番好きなバイク雑誌はもう25年位前から「ミスターバイク」で
(まあ最近あまり買ってないが)その中でずっと一番活躍しているのが
佐藤信哉だ。

バイク乗りなら大体知っている名前だと思う。

その彼が確か21年位前に、ミスターバイクの読者を集めて
泊りがけの飲み会を企画した。

その後、信哉Dayへと発展していくきっかけとなる最初の
泊りがけ飲み会だった。

友人が私も一緒にそれに応募してくれて、私は当時乗っていった。
ハンドルが曲がりオイルがチューチュー漏れる異様にボロい
中古のヤマハのXT250で参加した。前日はそのバイクで
清里のスキー場の近くを走って、雪道を走っていた(どうやって?)。

そのままその飲み会に参加した。友人とは現地で合流した。

怪しげなマッドマックスや北斗の拳もどきの格好
(というか佐藤信哉のバトルスーツの方が元祖だと思うが)
をしたバイク集団と、私たちのようにオフロードバイクやら、
おとなしめのバイクに乗った集団がたしか半々くらいづつ
集まってきた。

そこで佐藤信哉が登場した。

びっくりするくらい小さいのに、びっくりするくらい存在感のある人だった。

夜の飲み会は異様なほど盛り上がった。

ミスターバイク編集部の方々、当時の編集長の近藤さん、
慶応大学の学生でバイトで編集していた人、
板垣さんだったかな写真家なのに当時毎回違う女の話の
エッセイをかいていた人(全部フィクションだったらしいが)。

カドヤの社長は既にかなりの年配だったが、酔っ払いながら
逆立ちしていた。

みんなバイクが好きで、どこか普通の人からちょっと外れているような。
そしてみんな素晴らしく心優しいことが伝わってきて。
自分は嬉しすぎて、飲み放題をいいことに意識がなくなるまで飲んでいた。
意識がなくなりかける私をみんなで心配してくれていて、
それが嬉しくてもっと飲んでいた。

カドヤの社長は自社製品の小物をプレゼントしまくっていた。

佐藤信哉はあの強持てそうなイメージと全然違って気さくで
みんなに一通り酒をついで回っていた。
まあ彼のファンなら彼が優しい男であることは彼の文章から
想像ついていたことだが。

ともかく盛り上がった夜だったから、こうやって21年たってもよく憶えている。

その後のミスターバイクで、佐藤信哉は確かこう書いていた。

「もうああいう集まりは絶対2度とやらない。」
「集まってきた奴らがあまりにいい人ばかりで、なんかカッコがつかない」

あの集まりに参加して、彼の言いたいことは僕もわかった。
あまりにも心優しいバイク乗りたちだった。(カッコはマッドマックスでも)

彼はその後、しんやDayでそれを大掛かりにして再開して何回か
やっていたけど、それには参加しなかった。

今は月に1回池袋で朝までバーンナイトというのをずっと続けている。
それにも一度も参加してない。

あのときの繊細で傷つきやすいのではとすら思えたほどの
心優しいバイク乗りたちはそれぞれ今どこにいるのだろうと
ときどきボーっと思う。

多分今もバイクに乗っているとは思うが、僕と一緒で世間からは
多少はみ出ているかもしれない。

暖かくなってきたからまたバイクに乗ろう。

日曜日, 4月 05, 2009

サクラ観しながらの娘との5時間散歩

自宅から歩いていける、高尾山の近くの林業試験場に
上の娘とサクラを観にいきそのまま散歩をつづけて
モスバーガーにも寄ってきた。





これはサクラと関係ないけど、自宅の
近くにも「原宿」という地名があるのが
面白くてとってみた。


これは自宅の裏の川沿いの桜並木
風邪ひいて熱出したので、ちょっと激しい運動は
する気になれずちょうどよいリハビリになった。
実の娘とはいえ5時間も散歩に付き合って
飲み物から着てるものまで世話してもらえるのは
ありがたいことだ。




土曜日, 4月 04, 2009

ショーシャンクの空を久しぶりにみた。


ショーシャンクの猫 (面白かったので勝手に拝借してしまった)



一番好きなシーンでもこれはちょっと視線が水平。




一番好きなシーンの一番好きな表情。
こんなに苦労ばかりのときのこの笑顔はステキだ。





脱獄したあとパッケージ写真とは違うアングル。
下水管を500ヤード這いずったあとの開放感の中での雨。

一番好きな映画「ショーシャンクの空」をBS放送で久しぶりに観た。

無実の罪で刑務所入ってここまで苦しみながら
希望を失わないで行動を続けていたこの主人公。

それが作り話とわかっていてもジーンとくる。

自分もそうありたいなあ、と強く憧れるのであった。