金曜日, 12月 29, 2006

今年最後の仕事

一人で会社に残って、今年一年のことを振り返ってみる。

出会い、別れ、ピンチ、チャンス、自分の生命の危機、子供の成長。

今年もまた、色々なことがあった。

楽しいこともいくつもあったのに、今、思い出すのは、
敗血症ショックから退院して、そのすぐあとから、
会社にでてきたこと。

駅まで歩くだけで、ハードトレーニング後みたいにグッタリとなり。
イスに座っているだけで、転げ落ちてそのまま寝転がりたくなった。

会社の中でなんとかゆっくりとでも仕事しようとするだけで、
身体にワナワナとして耐えがたい疲れがくるのに、
無理矢理仕事を続けた。

ともかくこんなことくらいで仕事をあきらめるわけにはいかないという
強い闘志のようなものが、自分を支えていた。

不思議だ、いつも弱い自分ばかりを意識しているのに、
自分にはそういう、あきらめない執念というものがあり、
それは実は自己イメージより実際はもっと強いのかもしれない。

そうこうするうちに身体は回復してきた。

年末は土日だけ、休んで、月曜日 1月1日からはベトナムに
仕事でいってくる。(でも家族がついてくる)

多分、自分自身は弱いのだけど、くじけそうなときは、
今まで僕を育ててくれた人、 支えてくれた人、助けてくれた人
僕に愛情を注いでくれた人の魂にこたえなくては いけないと感じる何かが、
自分の中にできてくれるらしい。

何かを達成するのも良いことだが、へこたれないで前に進んでいること
それ自体が一番大切なことなのかもしれない。

月曜日, 12月 25, 2006

ゴルフ レディスクラブのハーフセット

いつのまにやら、9歳の上の娘がだいぶ大きくなって、142cmくらいかな。

それで、子供用のゴルフクラブではもう見るからに小さい。

それで、大人向けのレディスクラブのハーフセットを買った。
キャディーバックもついでに買った。

それだけのことなのだが、考えてみると、もう自分の子供が
大人向けの製品を使うようになったというのは、感慨深い。

きっと近いうちに、思春期で、僕との関係も変わってくることでしょう。

それにしても自分がゴルフコース行くこともほとんどない。今年は一度もない。
去年も2回かな、そんな程度で子供にそんなものかっているのも
アンバランスかもしれない。

任天堂DS カモーーーン

日曜の朝、子供達とイトーヨーカ堂に任天堂DSの抽選会にいってきた。

まず並ぶ、それから、抽選券の配布がはじまり、それから抽選会。

子供達はもう任天堂DS欲しくてたまらない。多くの親が並んでいる。
我が家は子供二人と私の計3人で、1時間も前から並んだ(それが何の意味もないことはあとでわかるのだが)。

さて無事抽選券ももらって抽選会がはじまった。

会場はおそらく千人近くに膨れ上がり、それに350台のDSが配られる。
熱気がすごい。最初の抽選番号が発表され、拍手が起こる。
でも一人10秒くらいはかかっているから終わるまで一時間はかかる。

しかもすぐ手を上げて返事しないとキャンセルとみなされるから
気が抜けない。

しょうがないから新聞でも読んでいると、子供達はもっと前に行きたいと
いいだすからほうっておいた。

もう一時間近く経過して家族だれもあたらない。

ああ俺達は、運に見放された、可愛そうな家族なんだなあ(テヘ)、
なんて思っていると、急に上の娘の抽選番号が呼ばれた。
誰も返事しない。あわてて、自分が手を上げ、「ハイハイハイ」と
返事する。 俺見たいないい年した中年のしかも大男がかっこ悪いにもほどがある。

上の娘がどこにいるか探すと、もうあたらないと落ち込んでうなだれている。
それで気がつかないらしい。ちょっと離れたところから、人が大勢いるのに
上の娘の名前を絶叫する。それで娘がようやく気がつき、抽選券にスタンプを
押してもらう。下の娘も何回も飛び跳ねて喜んでいる。「お姉ちゃんよかったねえ」
目をキラキラ輝かせている。

さて、下の娘がもっとまえにいっていい? というので、ああいいよといって
しばらくって心配になって、舞台の斜め裏側から娘を見つけてみると舞台の
端に半分顔をのっけるようにして抽選券を握りしてめて真剣な面持ちで
抽選発表する店員を見上げている。

まるで、難民キャンプで配給をもらうために並んでいる子供のようだ。
抽選券の握り締め方は、競馬ファンのようだった。

可愛そうにもう終わりだな。

と思っていると、最後から何番目かで、下の娘の番号も呼ばれた。

下の娘は直ちに反応した。すぐ手を上げた。
そう彼女は全然あきらめてなかったのだ。(そこがあいつらしい)

それが我が家のクリスマスプレゼントとなった。

イヤー並ぶの大嫌いな僕も、ドラマを味わいました。

水曜日, 12月 20, 2006

人生ナビゲーションシステムがあったら

カーナビでは例えば、自宅から各ゴルフ場までの距離を表示して近い順に並べることもできる。
もうこれ以上なかなか僕には思い浮かばないほど至れり尽くせりなのだ。

まあ、抜道や渋滞回避の機能がいまいちな気がするが。

それだけ機能が充実して、しかもマニュアルみないで直感的に操作しても
大体ほしい結果が得られるようにつくってある。

素晴らしい。

それでもね。当たり前のことだけど目的地は自分で選ぶしかない。

カーナビが勝手に、あなたはきっとここに行くのが良いでしょうとは選んでくれない。

ひょっとすると近い将来、ユーザーの趣味、嗜好を分析して提案してくれるカーナビも
できるかもしれないくらいの、最新のカーナビのできだが。

さて、折角生きていて何をしたいのかという目標がないと、きっと近所を
うろうろして時間がなくなってしまうような人生になってしまうのかもしれない。

仮に人生ナビゲーションシステムがあったとしても、自分が何をしたいかは
自分で決めるべきことだろうし。

でも、ほとんどの人は、流されて生きていってそれでもそれほど悔いはないのでは
ないだろうか。

僕は、ずっと自分が40代になったら、もっとしっかりしている価値感も固まってきて
いるかと思ったが全然そんなことはない。むしろ歳とって、ああ人生半分過ぎたから
もう好きなことやるぞという意識が強くなってくる。とにもかくにも時間だけは過ぎ
歳だけは確実にとっていく。僕には思想も、哲学も、宗教もない。

月曜日, 12月 18, 2006

製品選びはどうやるの?

最近、カーナビ、スタッドレスタイヤ、ゴルフクラブ、バッグと
続けざまに買って、買い物ってどうやるのが賢いんだか
自分にはよくわんないことがよくわかった。

カーナビも使ってみないと良くわかんないでしょ。
それで、カロッツェリアがトップシェアで評判も良いらしいので、
これにした。高い買い物でも本格的に他のものと使用感を
比べるなんてなかなかできない。エイヤッときめるしかない。

それに、色々買いたいものあるのに、それぞれそんなに
時間をかけて調べてられない。

スタッドレスタイヤは、インターネットで評判調べると、
実はTOYOタイヤのガリットなんとかがよいとか色々な
意見があるけど、ショップを3件回ってみると、どこも
ブリジストンのブリザックを進めるので、ああまあ専門家が
それがよいというのだからそれでいいんだろとおもってしまう。

しかーし、自分はこの10年あまり、ブランド力のない会社の
仕事ばかりやっているので、ブランドに負けている自分がなんか
かっこ悪い。でもあれだけどこでもブリジストンすすめられると
どうしもガリットしにしてくださいとわざわざいうのもなんだかなあ
というきになってくる。

因みに 最初はスバルのディーラーで ホイール4本セットで 13万円
ブリジストン直営の 東京で一番ブリザックを撃っている タイヤ館で 10万円ちょっと
近所の、ヤンキーのニーちゃんぽい外見の店員と、貧乏くさい店長がいる
タイヤ専門店で、ホイールは中古でいい矢とか言うことで 8万円ちょっとしたで
そこで決めた。

ゴルフクラブは、だいぶ前に試打してとても良い感触だったことをよく
覚えていたので、とても楽しみにしていたのだが、練習場もっていったら
まるでだめ。なんか試打したときと別物のように感じるのだけど、
どっちにしても金の無駄遣いをしてしまった。

バッグも妻にけなされて、なんか使う前から、使うのが気が引けてきてしまった。

納得できる買い物を、あんまり時間かけずにやるのも、なかなか難しいらしい。

スタッドレスタイヤ

昨日スタッドレスタイヤを注文した。

BLIZZAK REVO 1

である。9月からREVO 2 が発売されていてそちらのほうが
12%氷上での性能がよいということなのだが、一本あたり4000円も
安いのでこっちで十分ですよというショップの親父の言葉を信じて買うことにした。

カーナビ買って、スタッドレス買って、バッグも買って、家族で年末年始は
海外旅行もすることにして、なんか入院生活の反動なんだよねえ。

ちまちま金なんかためてどうする、使っちまえという気持ちがちょっと増えてきて、
かつ、なんか自動車でどっか出かけたくてしょうがないのです。

入院中やばかったときは、結局仕事のことなんか、思い出さず、家族のことや
昔の友人のことばかり思い出していたので、俺はもっとそういうことに時間
使おうと意識が変わってきたのです。

といって、そんなに金があるわけでもないしなあ。

好きこそ全て

週末はまたまた、二人の娘を、土曜の夜も、日曜の夜もプールに連れて行った。

下の娘が、パパ見ててと何回も言うので、泳ぎをみてると、なんだか下手になった
みたいで、 これでは25m続かないだろうと思った。ところが、25mでターンし、
50mいくのかと思ったら そこでもターンし、結局175m泳いでしまった。
今年の8月に25m泳げるまえはほんの10m しか泳げなかったのに。

上の娘も張り切っておよいで、600m一気に泳いだといっていた(自己申告)。

6歳と9歳で、スイミングスクールもいってない子供達にしてはよくやるもんである。
(上の娘は少し通っていたことがあるが)

でも、実は僕は子供達がどれだけ上手に泳げるようになったかよりもずっと
大切にしたいことがある。

水泳を好きになってほしい。将来、つらいときがあっても、泳げばスキッとして
また 毎日を頑張っていけるような、そんな水泳好きになってほしい。
それが一番大切にしたいこと。

自分がそうだから。それで何回も助かったから。

だからプールにいるときも、ちょっと泳げると、大げさに褒めたり、
僕の足につかまらせて、クロールのプルのみでずっと引っ張って
あげたり して喜ばせている。

自分の父が僕にしてくれたことを真似しているだけのことだけど、
自分が大切に思っていることは、子供にどうしても伝えたい。

そしてそれを子供が喜んで好きになってくれたら、とても幸せだ。

僕には今子供とプールで遊ぶことが好きなことだ。

土曜日, 12月 16, 2006

カーナビ、楽ナビ、ラクナビ、iPod

先週から、自分の車にカーナビがついた。
カロッツェリアAVIC-HRZ88G

いままでカーナビつかってなかったのに、いきなり
この冬の最新モデルなので地デジ対応で、
操作も簡単、音声ガイドだけでなくて音声入力もついていて
音楽きいていても、「次の曲」いうとちゃんと次の曲にしてくれる。

ナビゲーションも素晴らしくわかりやすく、親切で、道路を曲がらないと
いけないときは300mくらい手前から大きな緑色の矢印が画面左半分に
表示されて曲がる地点までだんだんとその大きな矢印が手前から
黄色に変化していって、曲がる地点で全部黄色になって曲がる
所を間違いなくしらせてくれる。とてもわかりやすい。

音楽もミュージックサーバー機能があるので、CDも一度かければ
ハードディスクに録音される、約CDにして200枚分まで。
その便利さはチョットiPodにもちょっとにているし、オプションケーブル買えば
iPodにつなぐこともできる。

機能もりだくさんもよいが、それより感心させられるのが、とても
使いやすく作られているユーザーインターフェースだ。

今頃、カーナビ買ってしきりに感心しているオレも、流行から遅れているような
人だけど、それでも感心しきりなのである。

なんか遊びに金使いたくなってきて、先のこと考えたくないような
気分で、これから浪費しそうな。そうしたいような気分、生きてうちに
遊んでおかないとという気持ちがつよくなってきた。カーナビくらいで
また大げさなのはわかっているが。なんか色々あって考えもかわってきた。

木曜日, 12月 07, 2006

また週末に無理してしまった

自分も懲りない男である。

こないだの土日は、土曜の朝眠くてフラフラしているのに
ゴルフ練習場の早朝優待にいって、また渾身の力をこめた
(これではうまくならないのは百も承知してるのだが)
ドライバーショットをし続けていた。優待は 300球なのだが、
球をくれるおじさんがいたりして400球以上打ったとおもう。

しかもその半分くらいはドライバーを振り回していたので、
激しい筋肉痛になる。それでもおくのネットに届かない。

くやしい。それで、またまた渾身の力で振り回し続けていると
ラスト3球が連続でネットに届いた。疲れきって無駄な力が
抜けたらしい。

そのあと、バイクでまた走る。それが大型バイクで林道走ったら
途中通行止めになっていて、横の斜面を通り抜けようとしたら、
マフラーがゲートに使えてでられない。斜面にステップがめり込んで前にも後ろにも
動けなくなってしまった。

登山者の二人の男性にも助けを求めたが、結局は自分で埋まったステップの
前後を素手で書き出して、大きな石をどけて、力ずくでバイクを引きずり出した。
装備重量250Kgくらいあるが、なんとかなった。よくそんな力がでるもんである。

でも息はしばらく上がりっぱなしで、ゴルフ練習でいためた腰をさらにいためた。

そのあと、プールにいって、2時間の間、途中10分間の休憩以外は、
泳ぐかプールの中を歩くかを続けた。それが土曜のことで、

日曜も同じようにすごした。ただ、日曜は娘達がくっついてきた。

月曜の朝から全身がかなりの筋肉痛で、身体が火照っていた。

ボーっとしていると、ついつい暗いこと考えてしまうので、
動き続けるしかないのである。

雲の上にある青空

今日は寒くて空の青が少しも見えない曇り空だ。
その曇り空を見上げ、灰色の雲の上にある青空を見れるようになりたいと思った。
何時だって心の中に青空をもっていたい。

水曜日, 11月 29, 2006

ゴルフのドライバーを買った

実はもう9ヶ月前からほしかったけど
マックテックナビG2 ルール適合 44.75インチ シャフトSSを買った。
4万円以下で買うことができた。

あの練習場にもっていいて試すのが楽しみ。

ああささやかで、わかりやすくて、簡単な楽しみでいいなあ。

それにしても男のゴルフクラブとか女の化粧品とか、ブランド物とか
原価が定価よりはるかに安いのはわかっていてもみんな
高いものかってしまう製品というのは、何がよいのか
わかりにくくてでもみんなが良いものほしがっているから
高くてもよさそうだと信じると買ってしまうという
要素が強い分野なのだなあ。

それも突き詰めていくと、すべての製品、商品の利幅は
多かれ少なかれ、そういう ブランド信仰、信頼感、に
付随して付加的に発生してくるものなんだろな。

マックッテックはその中ではかなりコストパフォーマンス高い。
それとつるやゴルフも好きだ。

ブリヂストンとかダンロップ(今のSRIXON)使って自分のように
下手だと恥ずかしいというのもある。

とすると私は逆ブランド志向か?

月曜日, 11月 27, 2006

エロ小説?

コメント読んでなんとも意外なのだが、何で俺にエロ小説書けと
いわれるのだろう。そもそも妻も知っているこのブログで
何が書けるんだ。

そういえば入院中、下半身の手術受ける患者さん達には
QOL(クオリティー オブ ライフ)のアンケートがあるそうで、
それが手術の前と後でセックスの回数がどうなったとか言う
質問ばかりだと、文句をいうおじいさん達がいた彼らの
言葉を要約すると

「上さんはもう40年も一緒に暮らしている家族だよ。
家族相手に欲情できるか? そんな馬鹿なことできないだろう?」

聴いているおじいさんたちもウンウンと深くうなずいていた。

これが多数派、日本の家族というか夫婦らしい。

もっと濃い、男女関係も色々あるだろうけどね。

例えば

「ねえ、あなたはこんなに元気で 私に会うまでどうしていたの?」

「ええ特に、あのー自分でしたりとか」

「ええーこんなに元気なのにそれで我慢できたの?」

「まあがまんするしかないからねえ、特にもてないしねえ」

「きっとあたなを好きな女子はいたはずよ、私でよかったらいつでも好きにしてね。
我慢してちゃだめよ」

「僕が元気になれたのはキミのおかげだよ。ありがとう、いつもの僕は全然元気ないんだよ」

ああ、僕にかけるのはことくらいですね。

ちゃんちゃん。

やっぱり変かそれとも無理しすぎか

昨日、ゴルフ練習だけでなく、水泳ではいきなり一時間ほど泳ぎ続けて、
それで気分良く酒を大量に飲んでしまったのであるが、
気分良く寝たつもりが、朝のというか夜中の4時から吐き続け、
おまけに、頭痛も激しくて、参った。6時半くらいまでの間に
トイレで10回くらいも吐いた。胃液は酸っぱくそれがのどに
しみるというかのどをやく。

6時半くらいから、グッタリ眠りだしそこから、まるまる12時間眠ってしまった。

もう昔のように無理できる身体でもないと実感する。

酒も少しなら身体に良いとはいうけどそれはアルコール換算で一日20CCくらいまでの
ことらしいから、ワインなら120cc ビールなら350ccくらいか。

自分の机で保険の手続きのために一年間の自分の病院の領収書を
整理していて、改めて、自分にとって大変な一年間であったことを実感する。

40回くらい通院し、4回入院し、1回手術し、その手術のあと敗血症悪くして
実際死にそうになり、もう少し健康を大切にしないと。

でもね、不思議なんだよね、健康とかよりよく生きようとかチマチマ考えていると
つまらなくなってしまうのに、死んでもいいやくらいのつもりで冒険していくと
生きているのが楽しくなる。この矛盾。

僕はよく自分がだめだなあと、落ち込むが、よくこれだけの一年間でも
二つの仕事を維持してきたなあと、少しは自分をほめてもいいんじゃないかと
こんな深夜に思う。

きっとまた、気持ちよく泳げるようになろう。

土曜日, 11月 25, 2006

氷点をみて、酒を飲んで、泳いだ後で、300球打った後で。

今日は氷点という小説のドラマ化の何度目かの
ドラマ化の放送日でたまたまビールを飲みはじめてテレビつけたら
そのドラマのはじまりでそれをみている。

ただあれだね、ドラマをつくるためにかなり無理な場面設定を
していることも感じられてしまう。

小説ならもっと登場人物の心の葛藤を素直に感じられるのかもしれない。

もっと素直になんで話あえないんだろうとおもってしまう。僕みたいな人間だと。

いや素直に話し合えばこんな悲劇は未然に防げたじゃないか。ハーーン

ただこれは小説だからなあ、その無理な設定の中でもそこで頑張る
主人公は可愛い。それでいいじゃないかいな。

今はビール1000cc、チュウハイ350CC 牛乳も(これはアルコールないか)と
たくさん飲んでます。あと秋刀魚と鯖の刺身も食べた。

朝6時半の目覚ましで、寝ボケながら、上の娘に、ゴルフ練習行くかというと
彼女も寝ぼけていくせして、ウンウンとクビを縦に強く振っている。

それで、朝から、娘と自分でそれぞれ300球打ってきた。
それがどう頑張っても昔のように奥のネットまで球が届かない。
ムキになって振り続けてもムキになるほど届かない。
俺はもう一生届かないのではないかと思ったところで、
球の存在を頭から消して、クラブを振り切ると、吹き上がらない
強い球がでて、ネットまで届いた。不思議なことに、球を意識すると
それを打とうという力みがでて球に当たる瞬間のヘッドスピードを
下げてしまう。ただ素振りをするようなつもりで球に当たると
ずっと良く飛ぶ。

さてその後、娘達は上さんの実家に泊まりにいき、
上さんはでかけ家に一人でいると、どうしようもなく寂しく、
ひとりで近所のプールにいって、泳ぎ続けてきた。
やっぱりたくさん泳いだあとが僕が一番気分が良い。
そのあビールを飲むとさらに気分がよい。

そして氷点をみていると、ウーーーン。

人間はもっと素直に話あえるほうがいいなあ。

火曜日, 11月 21, 2006

セブンイレブンのワイン

セブンイレブンでワインを売っている。
その中に田崎真也コレクションというのがあって、それを最近よく飲んでいる。
特に定温輸送とかいうのがあるとそれの赤ワインをかって飲んでいる。

田崎真也さんは立花隆の青春漂流にも登場していた昔読んだことがあり、
きっとまあこの人なら、良いワインを選んでくれているのだろうなあと思うから。

値段は一本千円前後のものがほとんどなのだが、僕にはこれで十分おいしい。
というだけでなく、これより高いワインかっても、どう違うのが自分の味覚では
わからない。

酒飲む量が増えている。折角身体治ったのにねえ。

今年の最近発売されたボジョレーヌーボーも試しにかって
週末一人で飲みきった(家族はだれも飲まないから)。

私の味覚では、そんな大騒ぎするような味とはおもえない。

熟成されてない浅いワインだけど、まあ新しいからめでたいような
気がするという程度だろうか。

昨晩は、生ビールを3杯新宿の高層ビルの上のレストランで飲んだ。
5年ぶりくらいに、昔カウンセラー養成講座(そんな自分にあわなさそうなものに
通っていたんですね)にかよっていたころの先生と一緒に学んだ人達と飲んだ。

そういえばなんとかカウンセラーの資格もとったのに、なんにもいかしてない。
自分を自分でカウンセリングでもしてみるかいな。きっと難しいんだろうけど。

そういえば先生がいっていたが、最近は鬱の人がとても多いのだそうだ。
僕もそうなんじゃないかと思うと先生にいったら、表情からしてもそうじゃないと
思うしそもそも、本当に病気の人はなかなか自分のことを鬱ではないかと
思わないのだそうだ。

土曜日, 11月 18, 2006

ノーダメージ

ノーダメージといえば僕にとっては佐野元春のベストアルバムのことで
何回もきいた。音楽好きだけど、もう長いこと佐野元春をきいてない。

今聞いているのは平井堅、ボニーピンク、BoA、中島美嘉あたりだ。

それが最近ノーダメージという言葉ばかりを何回も思い出す。

幸い、身体も治ってきた。仕事もまだまだとはいえ、元々僕は大したもんじゃない。
そう今まで色々なことがあったけど、僕はノーダメージ。色々あったハズだし、
ダメージもないわけはないようにも思うのだけど。気持ちはすっかりノーダメージ。

43歳でも、全くノーダメージで0からスタートを切れることを、素直に喜んでいる。

少し寒くなった海岸に薄着で立ち尽くしていて、冷たい風が吹いてきたら
すぐに凍えてしまうような脆弱な心のくせして。

寒くなってきたけど、バイクで奥多摩から山梨に抜けて、明るい青空と山の緑、
流れる雲、身体をきりっとさせてくれる冷たい風、のんびり走っても楽しいバイク、
そんなものを満喫したり、好きな音楽をきいたり、また泳ぎ始めたり、またゴルフ練習場で
球をうったり、仕事も二つの仕事を諦めずに続けている。

今日は愛車、レガシイグランドワゴンの11年目の車検が終わり受け取りに行った。

最新の自動車を代車にしてもらっていたのに、グランドワゴンに乗ったとたんに
はるかにこっちのほうが良いのにびっくりした。この自動車もノーダメージだ。

水曜日, 11月 08, 2006

力が少し戻ってきた

もう、ばたばたしていて、これ書くのもなかなか億劫な日々が続いている。

月末に会社の引越しをしまして、この疲れやすい身体で参ったなあと
思いながらも無理矢理、作業をしていたら、なんだか身体が回復して
きたような、

それから一ヶ月ぶりくらいで病院いって診断してもらうと、
もう不整脈も(正確には心房細動)も治っていた。

病気になること自体は運が悪いが、なかなか治りにくいハズの
病気が治ってしまうことは、運が良い。

それで嬉しくなって、3連休は、ゴルフ練習場に数ヶ月ぶりにいき
またバイクにのり、おまけに、自分の子供プラス、ひとんちの子供まで
つれてプールにいって、また3時間も泳いできた。

ゴルフボールの飛距離はがた落ち、
水泳は力が落ちすぎてダッシュができなくなっていた。

それでも、またスポーツできるってことは素晴らしい。

不整脈が治っているとお医者さんからきいて、病院をでてすぐ
ああまたマスターズ水泳(年齢別の水泳大会)でたいなあと
急にしみじみ思った。

良かったなあ、普通の健康状態に近いところまで戻ってこれて。

まだまだ疲れやすいけど、これで、また水泳も楽しめそうだ。
嬉しい。あの入院生活はもう近いような遠いような不思議な感じ。

あのときの人たちはその後どうしただろう。

土曜日, 10月 28, 2006

俺に力を

これじゃゴルフボールのコマーシャルに流れている
音楽の歌詞と一緒だけど、本当に

「俺にもっと力を漲らせてくれ」

と。

それでもこの一ヶ月もだんだん回復してきて
それにともなって体重も早くも少しずつ増えてきてしまっている。

回復といえば、一番回復を感じるのは感情が蘇ってきているように
思えることだ。

それでも、あんまり何かを感じないからやっぱり文章も書きにくい。

だから、フィクションをかく。

「もっと笑顔が多かったのに、病気してから笑顔がなくなったのね」

「ああなんだか、感情が前ほどわいてこなくて、笑うこともあまりできなくなったんだ」

「でもここは前よりも元気なのね」

「そうなんでだかわからないけど、そこだけは元気なんだ」

なんのこっちゃ。やっぱり面白いことかけないっすねえ。

月曜日, 10月 16, 2006

2ヶ月ぶりのバイク

昨日の日曜日、2ヶ月ぶりにバイクにのった。このくらいの期間全く
エンジンかけないでいると、キャブレターが詰まってないか心配なのだけど
一発でかかってくれた。

そして、またいつもの高尾、陣場、和田峠、藤野、相模湖、大垂水、高尾の
約60Kmの周回コースを走ってきた。

空の青、山の緑、川の澄んだ水、心地良い空気、歯切れの良くて
強すぎないエンジンの振動、それら全てが、バイクで楽しかったことを
心の中、身体の中に蘇らせてくれて、自分の忘れかけていた感情を
感じることができる。

楽しい。とにかく、僕にはバイクが必要なんだとわかる。

そんなに好きなら毎日乗ればよいのにと思われるかもしれないが、
これがたまに乗るからこれだけ感激するので、しょっちゅうのると
そうは感激しないのだ。

また大垂水のいつものドライブインの駐車場にバイクをとめて、自動販売機で
カフェラテかって飲んでいると、ヤマハR1とホンダ ファイアーブレードがきた。
R1に乗っている人と話すと、バイク歴20年以上で ずっとヤマハ。
最初にのったのがRZだというところから話をきいて
トシも近くて話も弾んだ。

R1は175馬力で乾燥重量はもちろん200kg以下、
雨の日は怖くてのれず、普段は通勤用に125CCの
スクーターに乗っているそうだ。

パワーウェイトレシオは自動車の10倍くらいだからそれはそれは
すごいもんなんだろう。

それに比べると、僕のカワサキ W650はのんびり走るのが似合う、
乗りやすい、気楽なバイクだ。

たまにバイクに乗るたび思う、ずっと乗り続けていこうと。
またいつか北海道に行こうと。

ああ楽しかった。

土曜日, 10月 14, 2006

書くということと気分

最近このBlogをあんまり書いてない。
僕は元々書くのが好きなのにしばらく書かなかった。

先日の手術のあとの敗血症以来、ともかく何かが
変わってしまったみたいで、食欲も前ほどないし、
頭もボーっとして、なにか書きたいと思うほど何かを
感じないようなそんな状態が続いている。

最近で一番楽しかったことは
上の娘と、「涙そうそう」を封切日に見に行って、
映画館から自宅までの5Km程を二人で歩いてきたことだった。

途中でラーメンを食べた。途中で乾物屋によった。
そこで、小さいホタテをそのまま干したような食べ物を
かって帰り道にもたべた。その店はもう120年以上やっているそうで

「凄いですねえ」といったら
「でもいつまで続くかわからないんですよ。」

と即答された。

また退院から一週間くらいしかたってないころだったので、
汗みどろで身体はグッタリした。娘はなんともないようだった。
元気で僕の手を引っ張ってくれた。

あれから2週間、身体はさらに回復したのだけど、
何か自分が前と違ってきているのを意識する。

それに仕事もまえのように、何が何でもこれを何とか
解決してやるというような気迫がでてこない。

身体壊してまで頑張るのは馬鹿げているが、
真剣にならずに成果だせるものでもないので、
様子見ながらやっていくしかない。

火曜日, 10月 03, 2006

無理する日々へ戻る

昨日、退院以来、はじめて病院いって、血液検査も試験管7本分も細かい検査うけたのに、
もう異常値はまったくないということで、ほんの3週間前は僕のことでオタオタしていた
医者が、もう全く、大丈夫というのであった。

でもやっぱりまだかなり疲れやすいし、おかしいなあと思い。

「あのーもう無理してもいいんですか」

「ああもう無理していいですよ」

(そんなもんか?)

それで、まあもう自分の身体ことは(まだクラクラするが)
放っておいて、もう仕事、趣味、体力つくりに神経をもってこようと
(しかし本当にほんの3週間まえに死にそうだったと、あれだけ何人もの
医者にいわれて、自分でも退院してから調べてみたら確かにそのとおりで
それがもう大丈夫って不思議だ)している。

不思議だけど、もうそれは放っておいて、前にすすもう、
クラクラしてこれだけ涼しくなったのに汗がたくさん出て
体重も10Kg減ったけど。(結局、こだわってるなあ。)

金曜日, 9月 29, 2006

今週は4日

今週は月曜から仕事開始して、月、火、水、木 と会社いって、
今日 金曜日は休んだ。どこまでが体力回復のために
やっていい無理で、どこからが、単なる有害な無理なのが
よくわからないので、カンで決めている。

それで、自宅で寝ていると、体がぐったりしていても
テレビもつまらないし、やっぱり退屈。

そこに仕事の電話かかってくると、面倒なんだけど、
なんだか自分がまだ必要とされているような気に
なれてそれはウレシイ。

海外からの電話は携帯に非通知で表示されるから、
いつもちょっとどきどきする。重大な知らせが多いから。

今日の知らせも、ドキドキした。まだ結果がでてなくて
8時に知らせがくる。僕はなぜか日本にいて、外国語が
苦手な日本人なのに、外国の人と仕事で関係することが多い。

今回も。

水曜日, 9月 27, 2006

「午後の最後の芝生」の主人公について

村上春樹の短編集
「中国行きのスローボート」の中に
「午後の最後の芝生」という人気のある短編がある。

私もこの短編好きなのです。

なぜだか。

とても好きなガールフレンドに

「あなたが私を本当に必要としているとはどうしても思えないの」

と、たしかそんなようなことを言われて、別れてしまう主人公。

真面目に、きちんと生きようとして、それが芝生刈のアルバイトにも
反映されて、しっかりした仕事ぶりに、感謝されるのに、心は何か
空ろな主人公。

細かい描写が、主人公がどれだけ感受性豊かに自分の周囲を
捕らえているかを表現しているようにも感じさせる。

その主人公は夏休みを一緒に過ごすはずだった彼女を
失ってとても悲しいのに、その彼女に、キミが必要だとは
結局言わなかったまま別れて、仕方なしに最後の芝刈りの
バイトにでかける。

目の前にとても大切なものがあるのに、まるで大きな水槽越しに
それを眺めているように。

「やれやれ」(村上春樹がよく主人公にこのセリフをいわせていたような)

この短編小説を何故そんなに面白く感じるのか説明できないことが
ここまで書いてわかった。

月曜日, 9月 25, 2006

再度の社会復帰

今日から会社にでてきた。でも会社といっても、相棒のオーストラリア人が
日本にいないので、一人だ。家から駅まで2km位の道を歩いたら、もう汗と
めまいが激しくやっと、会社までたどり着いた。全身がワナワナしてる感じ。

思えば、8月の27日は子供とプール行って4時間も泳いで、バタフライも
散々泳いで、俺って本当に病人なんだろうかと不思議に思って、
翌日から手術のために入院、それは順調にいったようにみえて、
一旦退院してから敗血症ショック状態で緊急入院して、
それらの出来事をすごく長く感じていたけど、ほんの一ヶ月間も
たっていないのだった。

それにしても医療ってなんか怖い。

あのままほうっておいたら、20年後、30年後くらいには、
僕は調子悪くなってた かもしれないというようなものを改善するために、
手術うけて、 それで死にそうになっていたのでは、割が合わない。
(でもやっちまったことだが)

そして、その一ヶ月間で一気に体力落ちて、白髪も増えたようだ。

これって一ヶ月間で取り戻せるのだろうか?

何からためそう。仕事も何から手をつけていけばよいだろう。

今日は誕生日で43歳になった。あさから娘達が手作りのプレゼントをくれた。
一つはファインディングニモ、(6歳でもう縫い物ができて中に綿つめてあるらしい)
もう一つは クネクネ動く、蛇のおもちゃ。

やっぱり自分は、仕事も、身体も回復しないとなあ。

この全身のひどい脱力感、何もしたくないしできそうもないようなだるさ、
無理すると逆効果になりそうな。こういうときは少しずつあせらず
やっていくしかないのだろうか。

金曜日, 9月 22, 2006

疲労と退屈

色々あって体力も落ちているから、疲れやすいのもしょうがないのだろうけど、
一日家にいると、やっぱり退屈だった。

といって、家の周りをしばらく散歩しただけでも、汗がたくさんでてきたり
グッタリ疲れてきたりしてしまう。

何からやればいいんだろう。

木曜日, 9月 21, 2006

敗血症でまた入院していた

9月5日に手術から退院したのだけど、7日から急に熱があがり
8日から緊急入院して、本日21日退院できた。

敗血症のかなり重いものだったそうで、後から、病院の多くの方
(お医者さん達や、看護師さん達)に自分が死ぬところだったと
言われてぞっとした。

8日の夜は40度以上の熱が6時間も続いたり、血圧が60になったり
どっかの内臓が止まったり、3時間ごとに動脈から採血されたり、
酸素吸入やらなにやら、騒々しかったのに、自分が死ぬかもとは
考えもしなかった。後からきいて、そうかあれが死にそうという
ことなのかとわかった。(俺も間抜けだな)

9日は熱は下がったものの、全身が痛く、特に腰が痛く
じっとしていられない、起き上がることもできず、身体には
多くのチューブがついている。しょうがないから寝返りを
何回もうつのだけど、寝返りうつだけでも激痛で、どうしても
「いたたたたた」と声をだしてしまう。

何でこんなに苦しくつらくても、自分の身体も心も生きようと
しているのか不思議にすら感じられた。

不思議とまた自分が9歳のときに死んだ父のことばかり思い出し、
自分の上の娘が今9歳のことを思い出し、自分が父を9歳で
失ったときの気持ちを自分の子供に味合わせてはいけないと
感じて僕は生きようとしているのかと、自分の無意識の領域の
部分が感じられた。 無理な理由付けかもしれないけど、
そう考え、そう感じると、涙が音も声もなく真上を向いている
自分の目尻を伝って流れ続けた。恥ずかしいので
白い手ぬぐいを顔にかけていたけど、ちょっと縁起悪かった
かもしれない。

さてそれからは急速に回復したのだけど、状況が状況だったので
お医者さんも用心して僕を2週間入院させておいたくれたようだった。

そして僕は、これだけの経験をしながら、何の後遺症もなく
また日常にもどっていくのだろう。

ただ、頭にあの一番苦しかったときの震える現象の恐怖が残っている。
それに頭のぼんやりした感じも消えない。きっと脳細胞もたくさん死んだんだろ。

入院中はまたたくさんの方と話をした。入院患者、医者、看護師、
僕は自分が社交的な人間でもないくせに、多くの初対面の人と
たくさんの話をした。昨晩は囲碁のルールを教えてもらった。

今回は見舞いにも何人もきてくれた。 不思議なことに
すっかりご無沙汰している人が急に自宅に連絡くれて
僕の状態を知って急に見舞いにきてくれたりもした。

ただ、こうなってみると、自分が、家族や近い親族にどれだけ
世話になっているか、よくわかった。

自分はいつも色々なことに巻き込まれながら、何かに生かされている。
まるで、何かが僕にもっと好きな生き方をしろと教訓を与えようとしている
かのように。

爪先やら足の裏の皮が剥けて下からまだ薄いピンク色の皮がでてきた。
お医者さんにきくと、「死にかけたんだから、そのくらいのことはあるだろ」
とのこと。看護師さんは「これで一皮剥けるじゃないですか」

ああ自分が脱皮するくらいの変化を作り出したい。

水曜日, 9月 06, 2006

社会復帰 大袈裟か

8月28日からまた入院していて、昨日9月5日に退院した。
今までは検査ばかりだったが今回はきっちり手術を経験して
まだ切られたところが痛い。

まあ、これでよくなるんだろうけど、もともとあんまり悪い自覚症状も
ないので、なんだか妙な気分である。

それとしばらくまえから、知り合いの紹介でmixiに入会して
こちらのBLOGにくる回数がへってしまった。

今さらかもしれませんが、これよんだ人でmixi入りたい人いたら
連絡ください。僕の知っている人なら招待メールを送ります。
あったことない人でも、どうぞ。暖かいメールをくれる人は良い人
だろうということで判断させてもらいます。

ところで、本日またもやお馬鹿なことをしてしまった。
入院中はせいぜいシャワーだけだったので、
お風呂にゆっくりはいり(それもまだ良くなかったらしいが)
そのあと手術したほうを下向きに裸のままたたみに寝転がって
テレビをみていて、しばらくたってから、急におきあがったら、

「いてーー」

そうふさがりかけた手術あとがたたみに血だか滲出液とともに
くっついていきなりそれを動かしたから、傷口ちょっとひらいてしまい。
たたみに血がついて、手術あとからも血が滲んで、ちょっとパクパクしてる。

ああああああああ、なにやってるんだ俺は。

まあしょうがないか、でも家族にばれると怒られるから
必死で、畳の血を拭いたのであります。

日本で一番か少なくとも3番目にはこの手術で実績のある
お医者さんまで探し出し、手術に臨みながら、この杜撰さ、
それがまったく自分のまんまやなあ。

まあなんとかなるだろ。

手術はもちろん特に手術後がそれなりにつらかったけど
それよりも、自分にとって驚きだったのは、麻酔が気持ち
良いということだった。自分にはとても気持ちよかった。

もう考えたくないことは何も考えないで考えられなくなって
「ホヤー フワー」と気持ち良く酔っ払ってしまい、
しばらくこのままでいたいような気もしたけど、すぐに
意識はなくなり、気がつけば、体中に色々な管をつながれて
起き上がるどころか寝返りも打てない状態で、眠ることも
あまりできず(もう麻酔でたくさんねてたしなあ)
ジリジリしながら朝を待ち続けた。

昨日は退院してそのまま会社に直行したがさすがに
かなりの無理があったらしく、クラクラするので、
今日は仕事さぼりました。

なんかすっかり不良中年の気分だなあ。

なるようにしかならないから、もうジタバタしないんだという気分と

今でも自分にしかできない、突破仕事をやってやるんだという
気持ちのくすぶりと。

木曜日, 8月 24, 2006

渋谷の靴磨きのおばさんの笑顔

渋谷駅の西口でたところすぐに、靴磨きのおばさんが座っている。
それが、なんの屈託もない晴れわたるような明るい笑顔でいるから、
とても印象に残るのです。

たくさんのしかめっ面の通行人の足元にの高さに座り、ちょっとうすら汚れたような格好なのに、
なんか輝くような笑顔でいるおばさん。少なくとも表情みるかぎり、
あたりにいる誰よりも幸せそうにみえる。

靴磨いているときも笑顔でお客さんと話し名がら仕事しているようだ。
あのおばさんの笑顔見ると、幸せなんて自分の気持ち次第なのかいなという気がしてくる。

僕はそのおばさん見るたびに注目してしまう。

別に恋しているわけではない。

日曜日, 8月 13, 2006

娘の25メートル

小学校一年の下の娘が、初めてクロールで25mを泳ぎきった。
その直前まで何回やっても10mくらいしか泳げなかった。
よくよくみると息継ぎができているようで、できてないかららしい。
それで息継ぎを教えると、今度は空を見上げるほど体が回転してしまい
クロールがグチャグチャになってしまっていた。

それが、その非常に頼りない泳ぎのまま、諦めない根性一つで
よたよた、方向もおかしくなりながら、25mを泳ぎきった。

プールの真ん中まできたあと12m、
あと10m
あと5m
あと3m

やったーついた。娘を10回くらい万歳して抱き上げた。

俺もどこまで泳げるかわからないような状態だけど、
精一杯泳ごう。

上の子が初めて25m泳げたときも嬉しかったけなあ。

水曜日, 8月 02, 2006

また入院することに

まあ今までは検査だけだったしな。
これでさっぱり良くなるということで、
なんてこと書いていること自体が自分の不安の裏返しか。

不整脈もあってそれが今回の内分泌の病気と関連しているらしく
手術のついでに、電気ショックもやってみようかとかいう話で、
どうなることやら。

だけど、病気になってみると、生きているっていいなあと
つくづく思う、というかそうなってみないとそれがわからない。

先日の日曜はまた子供をプールにつれていき そこでプールが終わるまで
4時間もいて、最後はまた家族だけになって、そのあとコンビニで
子供達がほしがる食物かって、たべた。そんなことが無性に嬉しかった。

ホルモンのアンバランスは自分の自律神経を乱していて
それが不整脈にも関係しているのだそうだけど、
そのわりには俺って本当にあきらめそうであきらめないで
しぶとく仕事のこと考えているなあ、あんまり進歩がないけど。

ホルモンバランスが治って不整脈も電気ショック一発でなおったら、
見事な健康回復一発逆転劇だけど、まあ淡々とやってくしかないのだなあ。

ああ健康になれたら死んでもいいとかいうくだらない冗談あったなあ。

仕事のほうもこんなときでも逆転劇を狙っているのであった。
でも逆転ホームランよりまずはヒットをねらわんと。

月曜日, 7月 24, 2006

バイクでまた同じコースを

23日梅雨の中、雨がやんだ時間にバイクでまたいつもの山の中の
コースをまわってきた。ちょうどほぼ一周して自宅にたどりつくと、50Km
くらいのコース。このコースを今まで何週しただろう。100は超えていると思う。

天気はさえないものの、増水した川や、山も緑が心地よく、
バイクの感覚が、また昔の自分の中の感覚を呼び戻してくれた。

いつも人休みする、峠の駐車場にはアメリカンバイクできている
おじいさんがいて、僕に話しかけたそうなのだが、なんか僕は
ボーっとしていた。何度もエンジンをかけようとしているがかからない。
それで困っているらしいので、こちらから話かけると、既にJAFを
呼んだとのこと。でもここまで走ってきて、いきなり全くかからなくなるのも
変な話だと思って、僕がみると、単にキルスイッチが動いてしまっているためだと
わかった。おじいさんのバイクは無事かかり、おじいさんは喜んでいた。

バイクにのって自分の普通の感覚がよみがえってみてようやく
ハッキリ自覚できたことがある。

仕事のことと、まだ検査結果でてないけど手術するらしいこと、
そのくらいのことでめげないように気持ちを持っているつもりが、
実はかなり、神経がまいっていること。

実は今は血が止まりにくくなる薬も飲んでいるからバイクも禁止なのだけど、
ビーチサンダルに短パンにシャツで乗ってしまった。
他人からすれば無謀なのだろうけど、バイクは僕には本当に必要なものだ。
例えたまにしか乗らなくても。たまに乗るたびに思う。
連続してのると、ありがたみが薄くしか感じられなくなるようだ。

三連休に毎日プール

一週間前のことを今頃かく。

15,16,17日と三日連続で、近所のプールに行った。
15は自分の子供二人と近所の子供二人、天気もそこそこ良くて
プールは込んでいた。子供との遊びに僕も参加して鬼ごっこや
ボール遊びをした。

16は雨なのに子供が行きたがるので、プール行ってみると
プールはやっていたが、他にもお客さんは3人くらいしかいないで、
また2時間きっちり遊んできた。

17日はさらに天気が悪かったのに朝からいったせいで
とうとうプールは僕と子供二人だけだった。
それでも楽しく遊びまくった。激しいスポーツはやめるように
医者からいわれていたけど、2時間半にもわたってかなりの
距離を泳いで、それでもなんともなく、というか気持ちよかった。
俺は本当に病気なのだろうか?

自分だけでなく、子供も水が好きなのがまた嬉しかった。

17日は途中から女の子が一人できて、その子のお父さんは
プールにはいらず、子供同士ですぐ仲良くなって遊んでいた。

その女の子は中国人で、日本語と中国語両方つかえるのだった。

子供達には寒くないように、ウェットスーツと同じ生地をつかった
特別な水着を着せておいたので、大丈夫だった。

日曜日, 7月 16, 2006

3年ごとくらいに会っている人

一週間前、自分の会社を上場させてしばらく
仕事から離れて、好きなことをやっていた人に会った。

僕は3年に一回くらい。その人に急に連絡をして、
急に会ってもらっている。

そして久しぶりにあいながら、確か3時間近く話をしただろうか。
彼のエネルギーを少しわけてもらった。

別れ際に、「心がつらいときはいつでも連絡ください」
といわれた。

彼は人徳経営ともいえるのか、結局彼の人間的魅力で
人がついてくるらしいのだけど、僕みたいに仕事上の
関係が何もない人間にも親身にそういってくれるところが
彼の凄いところだ。

結局退院してから、自分の体の心配はほとんどせずに
また、仕事の心配ばかりが堂々巡りをしてしまっている。

土曜日, 7月 15, 2006

金曜の夜

丁度一週間前に退院して、今週月から金まで十分仕事頑張れるか
わからなかったけど、なんとか(本当になんとかのりきった)
丁度今日、一つ成果をだせて、お祝いに寿司を食った。

色々あるけど、今晩くらいは、まあそれなりには頑張っている
ということにして、安らかに眠ろう。

色々あるけど。すべてが僕のせい考えてもそれで
前にすすめなくなってもなんにもならないからな。

暑くて、熱くて、問題続出で、体中から汗がたれるような
本当によく汗をかいた一週間だった。

土曜日, 7月 08, 2006

ようやく退院

15日間の検査入院を終えて昨日漸く退院した。

そのまま、新宿の会社にいって、夜までいて難問が
たまっていることを知って一段とクラクラして、そのまま
大学時代の友人達の飲み会に顔だけちょっとだして
すぐ帰ってきた。

ここまで時間かけてたくさん検査するとは入院するまで
わかってなかった。

入院中はしょうがないので、読書とテレビにばかり
時間を使っていた。

入院した病院のお医者さん達の説明や対応をみていると
この病気にとても詳しく、医学全般にもとても詳しく、
かつ丁寧に、慎重に対応してもらっているように思えて、
頼りになりそうだった。
(まあ結局は病気がよくなるかどうかなんだが)

その病院のお医者さん達は説明が一貫性があって、
何をきいてもかなり説得力のある回答をくれて、
おまけにいつも親切なので、こちらが逆に恐縮してしまった。

外出できたときに、24時間継続して心電図を図る機械(ホルター心電図)を
つけたまま、おもわず、ビールをジョッキに2杯飲んで、病院かえってそれを
正直に担当医にいったら、表情がサーと目の前で暗くなるのだけど、
「それは検査結果に影響がでるからまずいですね」というだけで
全然怒らないので、非常に恐縮してしまった。

ともかく若いお医者さん達は特に熱心に働いていて
頭が下がる思いだった。

さらに看護婦さん達も立派で、あーあこの人たちは
きちんと世の中の役に立つ仕事やっているなあ、
俺もそういうことやらなくちゃあなあと。

それだけレベルの高い大学病院のためか
同室の患者さん達は難病や重病の60代の
人達であった。

それでも僕に明るく振舞ってくれるのだけど、
見舞いにきた奥さんとついエレベーターで
話したりすると

「あれで、よく泣いているんですよ」
と、奥さんにはモロバレなのであった。

またそんな自分が大変な状態の患者さん達が

「**(私)さんはまだ若いんだから、きっとよくなって
これから頑張れるよ」

と僕が退院するときに励ましてくれて、僕はなんと
言ってあげられるのか困ってしまい。

「イヤー仕事も病気もなんとかなると思ってやるしかないですよね」

なんてどうでもいいような、言葉しか思い浮かばないのであった。

今回の入院では退屈なときに特に、自分の21年と9ヶ月前の
長い入院生活を思い出した。あの時は病気で自分がどうなるかとか
もっと深刻に、あれやこれや考えたり、自分の不運を嘆いたりしたが、
今回は、「あーあもう しょーがない、なるようにしかならない」
とかなり達観してきた。
(まあそれほど深刻な状況でもないらしいからかもしれんが)

21年前の入院生活のとき、よく見舞いにきてくれていた大学時代の
奴らの顔を見たくなって、昨晩の飲み会に飛び入り参加したが、
もう酒はのまなかった。

それに21年前あんなに悩んだくせして、それからの21年間
悩んでいたことこととは全然関係ない人生で、そのころ悩んで
いた病気は完全に治っていた。

それに、こないだのブログで子供の授業参観で涙がでたことを書いたが、
まるっきり自分自身ののことでは涙なんかでやしないのであった。

自分に不思議なくらい親切にしてくれた人のことで泣くことは
あっても、自分自身のことでは泣く気にもなれない。
悲しくもない。なんでだろ。

木曜日, 6月 22, 2006

2度目の検査入院決定

明日から。今度は食塩負荷試験もやるらしいなあ。
まあまたまた、目新しい経験ができるということで
しばらくは退屈しないですむかな。
読書でもしてすごすか。折角の機会だから、なんかできないかな。
しばらくインターネットともおさらばかな。

それでは。

読書は楽し

修羅場の鉄則 起死回生のマネー哲学
修羅場のマネー哲学

の2冊を続けざまに読んだ。
それだけ面白かった。

木戸次郎さんの体験を書いた本だが、
その修羅場での精神的な強さに感服した。

どうすればそんなに強くなれるんだろうか。

日曜日, 6月 18, 2006

授業参観で泣いたこと

自分の特に最近の情緒不安定も原因している
ことなので、少々恥ずかしいことだが、子供の
授業参観にいって、思わず涙がでてしまった。

上の子の教室に、行くと、教室の横に各生徒の
自己紹介と自己PRがそれぞれ一枚の紙になっていた。

自分の娘の紙を見つけて、読んでいくと。
理科が好きなこと、さくらんぼが好きなことが
書いてあった。

「私の宝物」というところで「かぞく」

とだけ書いてあった。

子供達のまえでよく深刻な夫婦喧嘩をしていることや、
自分があまり良い父親でないのに
そう書いている娘のことを思うと、急に涙がこみ上げてきて
とめられなかった。

それを隠して、トイレいって顔洗ったりしていた。

それから、また昔のことを思い出した。

娘達が通っている小学校は、自分が昔、小学校5年の
1学期まで通っていた小学校で、今から35年くらい前だろうか
私の父が算数の授業の参観にきてくれた。

たしか僕はそのとき3年生だったのだと思う。

父の前でよいところを見せたい気持ちもあり、
実際、自分がそこそこ算数ができたこともあり、
その授業で、先生が出した問題を自分だけが解く
ことができた。それを父はとても喜んで褒めてくれた。

自分が9歳まではいつも父が僕の唯一の擁護者で理解者で支援者だった。
そして父が急に交通事故で4月になくなった。僕が4年生になった日だ。

家族で男は僕だけになったし、ともかく泣いてはいけないと我慢していた。
そしてその年の夏、毎年父に連れていってもらった市民プールに
一人でいって、プールに飛び込んだとき、今まで溜めていた
涙が一気に噴出してくるように泣いた。プールの中だと泣いても
わからない。

そんな少年だった自分が今は、こんなに涙もろくなっている。
情けない男で、仕事も失敗だらけで、しょっちゅう挫けそうに
なりながら、なんとかやっている。

あの父に褒めてもらえるほどの人生をとてもつかめていない。

それでもあの父がもしいたら、きっと今の僕でも受け入れて
褒めてくれるていただろう。

綺麗な夜空をゆっくり眺めたときのような、気持ちにさせてくれる
父だった。

今日は父の日、亡き父に褒められるような、生き方をしたい。

社長という仕事の困難

最近、4人の社長さんに会ったのだが、
そのうち3人は、仕事によるストレスが大きくきっかけに
なったと思われる病気にかかっているか、かかった経験がある
ことがわかった。

不整脈、高血圧、アレルギー症状の悪化とか。

それでも、一度社長業をやってしまうと、
社長として仕事やるしかできなくなってしまう
ことが多いようだ。

話きいているだけでも、こっちまでつらくなってしまう。

会社の経営自体がうまくいかないことと、
信頼しているスタッフがやめて(あるいは自分を裏切って競合他社にいくこと)が、

一番、精神的にも、肉体的にも、調子を崩す原因に
なることは共通しているようだ。

さて、僕は、そんな仕事にこんな健康状態で、近い将来に
復帰しなくてはならないような状況になってきた。

ニートとかフリーターは生涯賃金とか、本当の意味で仕事に
真剣に関わるという観点では、あまりよい状態とは思えないが、
社長業で仕事にあまりにも真剣に関わらざるを得なくなって、
健康を害するような ことになるなら、そっちのほうが、
人生トータルで考えると 馬鹿げたことにも思える。

それでもやるときはやるしかないけど。

今は引退している、ある元社長さんからこんなことをきいたこともある。

「会社の状態がよくなると、自分の健康状態もよくなってくるんだよなあ
そんなもんなんだなあ、社長って。」

そんなもんだな。うまくいきさえすれば、社長業ほどやりがい
あって楽しいこともないだろうし。

そして、そんな困難や怖さをよくしって、心配しながらも、
夢(あるいは事業計画)をつくって、面白い可能性に
かけられるような人が社長に向いているのだと思う。

心配性で冒険好き、あるときは楽天的になれて、
それでもリスクを回避、減少させる方法をいつも
考えていられる。

そういう相反するようなところを同時にもってないと、
会社なんてうまく経営できないと思う。

水曜日, 6月 14, 2006

「嫌われ松子の一生」を見てきた

BONNIE PINKが曲も提供してなんとソープランド嬢として
出演もしていた。この人の歌は前から何回も聴いている。

小説読んでから映画をみて、今頃、松子がこうなってしまう
根本原因が、父親が病弱な妹の心配ばかりして自分に
愛情を注いでくれないそれで、なんとか愛されたいと
思いながら育ってきたことにあることがわかる。

なんでこんなに 嫌われて不幸まっしぐらな主人公を
好きになるのかが、今でも自分で説明できない。

でも、思うんだ、誰でも自分の資質に忠実に
生きることでしか、本当の自分でいられない。

松子は自分の資質に忠実に生きた。
だからそれが自業自得のような自滅的な
人生でも僕は好きだ。

そして、本来、幸せというのはそれ自体を目的にはできる
ものでないんじゃないだろうかと。

自分の願うことを追いかけていって、その先に幸せが
あるか不幸があるかなんて、もうどうでもいいし、
どうにもできないのかもしれない。

POPな映像からまた考えすぎかもしれないけど。

月曜日, 6月 12, 2006

月曜は新たな力がでる

今朝、月曜の朝は、ともかく仕事だという気迫で
身体に力が入るのであった。それが嬉しい。

力が入っている間にやることパキパキやって、
今晩は 

アーア、今日は良くやったなあ、俺も結構頑張っているよなあ
という良い気分で眠りに入れるようにしよう。

とりあえずも、ともかくも、今日を大切にして、明日のことなんて
もうわからなくてもいいやくらいの気持ちで。

日曜日, 6月 11, 2006

雨の週末

しばらく前までは週末をもっと行動的にすごせたのだが、
ここのところの、週末は何もやる元気がでず。といって
何もしないでごろごろしていると、余計にさえなくなって
くるので、悪循環の日々を送っている。

床屋いったり、実家の母に会いに行って、PCの使いかた
きかれて教えたり、まあそんなものか。

木曜日, 6月 08, 2006

ハワイ マウイ島 スキューバダイビング体験記

6年9ヶ月前に、マウイ島で12日間くらいだったかな、
ダイビングショップのクラブハウスに滞在して、
PADIのオープンウォーターとアドバンスドオープンウォーターの
資格をとった。

そんなに行きたくもないのに、妻が、どんどん予約を入れて
なんだかいくことになった。妻としてはハワイで、おれに
ブランド物のお土産をかってこさせるのが第一目的だったようだが、
僕はついでに、滞在期間をギリギリまで延ばした。

当時、妊娠中で3歳の子供を抱えた妻を置いて一人で
そういう旅行をすることから、また私への風あたりは
一段と強くなった。

さてクラブハウスは一軒やで、ダイビングインストラクターの
20代の女性二人(二人とも美人だった)とサーファー一人(マウイ島は
サーファーの聖地なのだ。) カメラマンを目指しながら何故か
ダイビングの手伝いもやっている、若者と、

男3人、女2人の共同生活が始まった。

各部屋に鍵はついてなくて、女性陣は心配でないのかなあと
思ったけど、全然気にしてないようだった。

その女性インストラクターの片方に私はほとんどマンツーマンで
スキューバーダイビングを教えてもらった。

教え方もうまく、てきぱきしていて、いったい今まで何をして
いた人なのか、とても興味を引く人だった。

一回、久しぶりに潜るという日本人の高校生の男の子も
一緒に、ボートダイビングをしたら、その子は、水深30メートルくらいの
ところで、息がすえなくなったのか、パニックに陥り、急浮上しだした。
かなりまずいなあと、僕がみていると、その彼女が、すぐに自分のレギュレーター
を貸して(間接キッスがうらやましいなあなんて思っていた)その子を落ち着かせ
彼女は少しもあわてず、冷静に対処しているのをみて、感心した。

こんなにパニック時に強い女性をはじめてみた。

教え方も隙がない。

それでも少しずつ僕とも気楽に話をしてくれるようになった。

彼女はみんなが知っているような会社の社長秘書(かなり話したくない
話題だったらしいが、僕が聞き出してしまった)から転職してきた
ということだった。

あれだけ一生懸命にスキューバーダイビング教えてもらったのに
かなりの部分をもう忘れてしまった。魚の名前も教えてくれたのに
忘れてしまった。

ずいぶんとしかられながら教えてもらったような記憶があるが、
講習最終日だけは

「水にとても慣れている。とても優秀な生徒さんでした」

といってくれたので

「泳ぐだけなら、僕のほうが得意だろうから、いざというトラブルが
おきたら、これでも助けようと思っていたんだよ」

といったら、初めて、普通の女性のような、嬉しそうな
柔らかい笑顔を見せてくれた。

実はそれとは別にそのダイビングショップと関係の深い
アメリカ人の投資関係の仕事をしている人とその後
日本で仕事からみで再開したりと、色々な出会いのある
旅であった。

帰りはオアフ島に一泊して、妻へのプレゼントを懸命に探した。
ロエベの本国以外では初公開とかいうえらく高いバッグを
思い切って買って帰ってきた。まるで言い訳を探すように
バッグを探したんだな。こういう店が大嫌いな僕は
店の中にいるだけで、汗が噴出してきてしまって、まいった。

マウイ島は、何故かは知らないが、空も海も、とても青い、
他の僕の知っているどの場所よりも青くみえる。
風の強い、場所だった。

そう、どこだって、僕への風当たりは強いのだ。

焼肉やにて

昨晩は、ブログを書いたあと、自分が以前、社長として4年3ヶ月間勤めて
いた会社の入っていたビルの近くまでいってみた。

このあたりの感傷的なことに浸りたくなるくせは、僕からぬけない。

本当に色々なことがあって、密度の濃い時間をここですごしたなあと
胸に募るものがあるのだ。

それからふらふらと隣駅まで歩いていくと、ビルの2階に入っている
焼肉やを見かけた。その焼肉やの窓から、僕の知っているらしい
おばさんが皿を片付けているのがみえた。

昔、水商売の店を経営していたママが店を閉じて焼肉やをはじめたから
来てねと連絡もらっていたのに、(あれは一年くらい前か)一度もいってなかった。

もうおなかはいっぱいだけど、懐かしくて、その店に駆け上っていった。

ビールを飲みながらママと話をした。

彼女はとっても素敵な店を経営していたけど、あまりにも
綺麗な子が多すぎて、人気が出すぎて、周囲の店から
やっかみと、警察の介入(これも変な話、彼女の店だけ
ビザの問題で狙い撃ちされ)で店はつぶされた。
周囲の店は何故か同じことをしながら警察のお咎めなし。

2月から一日も休まずこの焼肉やの仕事をしてもう疲れたと
いっていた。

彼女は40台後半くらいだろうか、昔のような(5年前)の元気がない。

それでもね、彼女は偉い。自分で、世の中の人に喜ばれることを
して、お金を稼いで、自分の力で生きていくことを当たり前の
こととしてやっているから。

僕にできることは、知り合いつれて焼肉食べにつれていくことくらいだな。
きっと最高においしい肉をそんなに高くない値段で出してくれる
店のはずだ。あのママが経営しているのだから。

水曜日, 6月 07, 2006

6月7日ダイジェスト

朝から 「アル晴れた昼下がり市場へ向かう道.....]
と口ずさんでしまった。ドナドナだ。
今朝も朝から病院でどんな結果やらと家をでる。

しょうがねえから景気づけに大声で

「いってきまーす、おまえらも勉強頑張るんだぞ」

と玄関で叫ぶと娘達がそれより大きな声で

「パアパアーいってらっしゃーーーい。お仕事頑張ってねえええ。」

と言っている。

さらに、玄関をでると窓から、クビをまるで小動物が巣や穴から出すように
出しながら

「ぱあぱああ 言ってラッシャーい。 早く帰ってこれたら、早く帰ってきてねえ」

と叫んでいる。

それから会社でなくて病院にいって、以外に早く順番がまわってきて

医者 「いつ入院しますか?」

自分 「あの前の病院で検査入院してとたデーターは役に立たないんでしょうか?」

医者 「痛いところ疲れちゃったなあ ハハハ」

てな会話で結局空き次第入院となった。もうともかくできることはどんどんやって
いい加減けりをつけたいぜ。

それから会社いって、ちょこまか、CRMソフトにデーターいれたりして
今までの仕事の進み具合を相棒と議論したりした。

さてそれから、今度は、他の仕事で人にあい、ちょっとお願い事して。

それから別の会社の社長さんと酒飲みながら話したら
励まされながらも
「なんで自分が社長として、頑張らないんだと」
何回も真剣に説教されてしまった。

そうそれはそれでもっともだけど、まず健康問題に決着つけないと、
どうにもならん。

それに社長業の恐ろしさを知りすぎて臆病になっているような
俺がもう一度覚悟を決めるのも、自分なりに計画を立てないと
無謀すぎると長いこと思っている。

そして結局今は、とある会社から、これを書いている。
もう娘は寝るころだ。

ああもう色々あって、もっと酒飲んでからじゃないと
家に帰れないような感じだ。

また夏がくるんだな。

入院といえば前回の入院時は、患者と看護師でワールドベースボールみて
特に日本が劇的な優勝もしてもりあがったけど、

今度はサッカーワールドカップでもりあがるのだろうか。

ああ入院も楽しかったりして、もうオキラク ゴクラクな考えでいいや。

死ぬならそれも運命だ。

バイバイ、元気でねえ。 酒の入っているときはこんなもんさ

日曜日, 6月 04, 2006

バイクと自動車との対話

どんなバイクや自動車を気に入って楽しめるかというのは、
試してみないとわからない、不思議な世界だ。

今まで何台かのバイクに乗ってきたけど、
パワーがあるだけで、そのバイクを好きになれたことはなかった。

逆に、昔のっていた、250ccのオフロードバイクで、北海道の
長いだらだらしたのぼり坂をアクセル全開なのに70km/hくらいで
向い風を受けながら、少し速くなったり、少し遅くなったりしながら
走るのは、バイクと対話できているようで、とても楽しく、
そのバイクをもっと好きになった。

新しいレガシーも色々なグレードがあるけれど、
アウトバックの2.5iが一番売れていて、ユーザーの満足度も
高いらしい。レギュラーガソリンで燃費も良いのも理由だろうけど、
余計な機能がついてなくて、シンプルなことや、結局のところ
177馬力というのは、丁度よいくらいの(それでも通常使いけれないけど)
パワーなのだと思う。

それと明らかにここ数年のレガシーより、剛性が上がっていて
それにより、自動車の挙動がわかりやすくなっていること、
そんなことがこの自動車に好感を持たせてくれる要素に
なっているようなのだ。

このバイクや自動車なら、どこか遠くへいってみたいと
思わせてくれる、そんな機械をもっていると、それだけで
夢が広がるのだ。

自分から切り出してみた

先週は実は3回も病院に行った。

お医者さんから聞いた話もいろいろと、考えさせられるものだったが、
今の仕事で、折角気の良い、オーストラリア人達と働いていて
仕事に十分は集中できず、申し訳ないので、自分はこれこれ
こういう事情で、しばらく手術で入院するかもしれないから、
はじめたばかりで悪いが、この会社を辞めたほうが
よいだろうかと話をした。

そしたら、今お前がいなくなったら、俺達だけで何ができると
即座に言い返された。俺よりもっといい奴雇えばいいじゃないか
とはいってみたが、自分が意外に頼りにされていることに、
少しホロッときた。

そう、確かに今の仕事も またまた誰でもできるような仕事でも
ないことはたしかだ。もっとも自分が大した者でもないのも
たしかでそれが自分をまた落ち込ませるけど、
僕は決してあきらめない。そしてドンドン消耗していくけど、
その中で今まで見えなかったことが見えてくることもある。

でもなあ、医者から、癌の可能性も(少ないけど)あるとかいわれて
その直後に無理やり笑顔で営業活動してたりすると、これはこれで
まいりますなあ。なかなか。なんか、無理しすぎかもしれない。

そんなわけで、平日はともかく気力で仕事をやって、
それで金曜日にはある契約もまとまって、
仕事の相棒とビールで祝杯をあげたけど、
金曜に自宅に戻ってからはもう、ぐったり、
今日も2時までごろごろしてしまった。

実際疲れているのと、現実逃避をしたいような
気持ちのままに週末を寝てばかりいると、さらに気分が落ち込むので
2時から家族と買い物にでかけ、スバルのディーラーにいって
最近マイナーチェンジされたばかりのレガシー アウトバックに乗ると
これが、今まで歴代試乗したレガシーの中で、最も自然で、車体の
剛性も高そうなしっかりした乗り心地でとても楽しかった。

買い物では、メキシココロナビールを箱で24本買い込んで
もう5本飲んだ。このビールもうまいし、アルコール度数も
日本のよりちょっと低いせいか、適度な酔い心地で気に入った。

不安定な心と体だけど、自分の魂を信じられる、感じられる
ようにやっていきたい。それには、自分の考えと行動をなるべく
近づけることが大切なんだと思う。

月曜日, 5月 29, 2006

水泳と無茶な早起き

結局、土日の大半を寝てすごし、日曜の夕方に、娘達に
パパプール連れて行ってと言われて、その気になって、
2時間半プールを歩いて、泳いで、子供とを背中のせて
泳いだり、ちょっとクロール教えたりした。

プールは8時までなので、そのまま近所のスーパー行って
子供にお菓子と、自分は夜なので半額になっている刺身とか
そばとか、ビールとかかって、家に帰って、食事、
カミさんもさすがに起きていた。

それで、ビール二缶飲んで、ワインをボトル半分飲んで、
いい気分になってしばらくテレビを見てから寝た。

水泳も運動不足のわりには、かなり早く泳げて嬉しくなって
25mを80%くらいのちからで7本くらい泳いだかな、あとは流していたけど。

それも気分よくなる原因の一つ。ガンガン泳いでビール飲めば僕はたいてい気分よくなれる。

それも水泳仲間がいれば最高だけど、今のところは当分、娘達に時間使うことにする。
今だけの旬の子達だから。

そして、真夜中の2時半に頭痛で目がさめる。

酒飲みすぎで頭痛になったらしい。無理に寝ようとしても
汗が出るばかりで苦しいので、おきだして、頭痛薬(イブ)を
多めに(普通は2錠を3錠のんで)テレビをぼんやりみていた。

TRICK(仲間ゆきえ主演のドラマ)の再放送を朝4時までやっていたので
それをみて、もう眠くもないので、家を5時半前にでて会社に来てしまった。

早朝の空気と朝日の中を歩いて駅まで行くのが気持ちよし、
今日は朝は無駄にしてない。

それで会社きたら、本社のCOOがチャットにはいってきたので、
しばらくチャット。彼は会社の成功を信じていると何回もいうのだけど、
根拠を示してくれないから、コワーーーイ。まあいいか。

中国ではかなりの成功収めているらしいし、問題は日本なんだよなあ。
って俺の責任じゃないか。やばいなあ。ビジネスなんて運不運を
換算しないで 結果で評価されるだけだからなあ。あーあ。

そういえば、2時半に頭痛で目が覚めてそのまま眠れなくて、ひどい頭痛に
まいっていたとき、悪いことばかり考えてしまってさらにさえない気分に
なって しまった。

頭痛がおさまってきたら、なにかなんとかやっていって面白いことにも
であえそうな気分になれた。

頭痛がおさまってくるだけで、自分の感情が変わっていくのがちょっと不思議だった。

日曜日, 5月 28, 2006

無計画でも走ること

42歳にもなって、自分の夢とか計画とかが
作り出せなくて、自分がとても馬鹿な無意味な
人間に思えてやけになってまた酒を飲む。

でもその酒もだビールとか、身体に良いポリフェノール
2倍のワインだとかだから中途半端このうえない。

今も酔っている。

仕事、病気、疲労感、閉塞感、とそんなものに
無駄にとらわれすぎてもつまらないだけ。

それで、少しでも今できることから次につながる
ことをまずやっていき続けようとしている。

例えば、今の僕は昼ま、ほとんど優秀なオーストラリア人と
二人でいることが多いので、これも英語を磨くよい機会と
とらえて、英語を勉強したり色々ためしてみるとか。

今手伝っている会社の将来に希望がもてないなら
その会社でやっていることで自分が楽しめること
将来につなげられることを少しでも見出して
そのために努力するとか。

人生半分生きて、まだ自分の目標みつからなくても
少しでも先につながること、チャンスを広げることに
より真剣に取り組もう。それも自分が楽しんで
それをできるようにバランスとりながら。

ああもっと酒のも。メルシャン 健やかワイン。

土曜日, 5月 27, 2006

最近の土曜はグッタリ

平日つかれて、土曜はぐったりしていることが多くなった。
それでぐったり寝ていると、一段と何もやりたくなくなるのだ。

人間元気でないとどうしようもないですねえ。

トホホ、いつかきっと元気に復活しよう。

火曜日, 5月 23, 2006

小笠原諸島に3回いってみたこと

4年前の夏から昨年の夏まで3年連続で小笠原諸島にいって綺麗な海を泳ぎまわってきた。

小笠原の海は

透明度も十分で
珊瑚がきれいで
色々な魚がいて
空いている(いったい他のお客さんはどこにいってるんだろ)

素もぐりでたぶん15Mくらい潜って珊瑚の端に指をかけて、
キラキラ輝く海面を眺めていると、とても楽しい。

でもそこで息をギリギリまで我慢してから浮上してくると
浮上してくる途中で意識が多少薄れていったりして
ちょっとやばい感じもした。

何回も無理な素もぐりをした。

スキューバーダイビングもした。

イルカともおよいだ。

亀もいた。

サメもいた。

エイもいた。

磯マグロもいた。

家族も全員喜んでいた。

小笠原には一般のリゾート地のような遊べる施設も
ショッピングセンターもない。それでも海が好きなら
綺麗な海があればそれでいいんだな。

一番好きな海岸はコペペ海岸というところで、
水深5Mくらいで珊瑚がある、入り江のような海岸で
いくらでも泳げる、魚もたくさんいる、飽きない場所だった。

僕はただただひたすら泳いで、泳ぎ疲れて泳げなくなるまで泳いで、
みた。

子供達は波打ち際で、波が来ると上にジャンプして波をやりすごす
ことに夢中になっていた。それが上の娘は上手に乗り越えるのに
下の娘は波にさらわれているような感じになって見ていてハラハラした。
それでも水の中からニカーと笑顔を見せながら立ち上がってくるところをみると
おかしくなってきた。怖いものしらずだな。

将来は夏の間小笠原で過ごすとかそういうことができたら素晴らしい。

夏の間は、仕事しないで遊びつくせるような、好きなことだけ
やってられるようになってみたい。

北海道をバイクで走ってた頃

北海道をバイクで走って撮った写真集を買ってそれを眺めていた。
ああまた北海道バイクで走りたい。それも一ヶ月間くらい。

20年前の夏に計画もなくいきなり愛車XLR250Rパリダカで
北海道に向かった。それまではツーリングもせいぜい長野
あたりまでだったが、長野の宿であったライダーと話しても
北海道はともかく最高だというので、ともかく行ってみようと
思い始めた。

その旅は事前にはとても想像できない楽しさだった。
楽しい奴らとの出会い。
北海道の海に裸で潜ってウニとってたべたり、
今まで見たことないような素晴らしい景色の中に溶け込む
ような気分で走り続けて、
天気も良くて、晴れの眩しい光の中をバイクで走り続けていると
さらにはしゃぎたい気分になってくるのだった。

20日間あまりで、7000Kmをあまりをはしり、全開走行も多かったせいか
オイルが減っていて、帰りの東北自動車道、那須SA付近でエンジンは焼きついてしまい。炎天下バイクをサービスエリアまで押していった。
結局バイクはそれっきりお釈迦になり、全てが劇的だった。

雨の中濡れたまま、野宿しても、野生の勘のようなもんがでてきて
自分は絶対、風邪を引かないと思えたときもある。

考えてみればその一年半前までは4ヶ月間近く入院していたので、
それだけ無茶しても、自分の身体が大丈夫なのも嬉しかった。

あんまり楽しかったので、それから夏になるとともかく北海道に
バイクで行かずにはいられなくなった。合計で10回くらいいったと思う。

でも最初の北海道旅行ほど楽しいことはもうなかった。
あれは奇跡のようなものだった。なんであそこまで楽しかったのだろう。
最初の北海道だから感動が深かったのだろうけど。

月曜日, 5月 22, 2006

親馬鹿か俺は

この週末はまた、プール、散歩、ゴルフ練習場、外食とあとは家でダラダラとすごした。

野暮用があって、そこは駐車場が使えなさそうなので、
二人の娘と手をつないで、銀杏並木とケヤキ並木の道を
全部で3キロくらい散歩した。

よく晴れていて、昼近かったので、太陽がとても高いところにあって
眩しいほどの明るさで、途中でアイスクリームを3個かって食べなら歩いた。

それだけのことが、とても楽しく、満ち足りた気持ちになれた。

あとで、小学一年になったばかりの下の娘から、
初めて手紙をもらった。ミッキーマウスの便箋にこうかいてあった。

「ぱぱいつもありがとう でもね いちばんたのしかたことがあるの
それわねきょうあるいたことがたのしかたのでも(?)
ぱぱしごとがんばてね。(笑顔のマーク手書き)」

嬉しいもんだなあこういうのって。
本当になんて嬉しいんだろ。

金曜日, 5月 19, 2006

金曜の夜は楽しい

明日は土曜だ。何するかな。今週も色々あったけどなんとかやれたな。
ああ金曜の夜はいいな。ほっとするし。仕事もいいけど週末もまたよし。
その境目の金曜の夜はもっとよし。

木曜日, 5月 18, 2006

ホルモンは感情を変えると実感

例の薬を先週の金曜の朝を最後にストップして
今日で6日目、これでもかなり元気になってきた。
飲んでたときに比べればかなり良い。

イヤー驚きました。この薬飲んでるときには
Hなこととかまったく興味がわかなかった。

試しに無理にアダルトビデオみたらなんか
気持ち悪くなりそうになって、頭が重くなる
感じすらした。

そして昨晩アダルトビデオをみてみると、自分が
普通に興奮することを確認した。

さらにいえば性欲というのは、別にHなことに対して
だけでなく、自分の気力の原動力になっているように
感じられるのであった。

別にフロイトの精神分析を信じているわけでもないけど、
薬で自分のホルモンバランスが変わるだけでこんなに
自分の場合、影響をうけるとは。

人間が所詮感情の生き物なら、もって生まれた性格、
体質、ホルモンバランス、そんなもので、同じ環境にいても
世界は違って見えるんだろうきっと。

日曜日, 5月 14, 2006

薬を勝手にやめる

飲んでると調子悪いような気がするので、
医者の処方を無視して勝手にこの二日間
中止した。

やめてすぐ調子が元にもどるわけでもないようだけど。

それにしても、お医者さんと話して改めて思ったのだけど
病院はうまく使わないと逆効果になりかねない。

医者としては薬やめてよいともいえないらしいけど
よくきくと、自分の今回のケースの場合年間5%の
発症をおそらく2%くらいに落とすためにこの薬を
飲みましょうということらしく、それでこんなに面倒で
かつ体調が悪いような感じになってしまうと本当に
勘弁してくれといいたくなる。

デジカメ

ゴールデンウィークに新しいデジカメを買って
試しにとってみると、素晴らしい。

これなら、使っていて特に不満も見つからないだろ。

これで、子供の楽しい笑顔やともかく
楽しいところをとって心の糧に(また大げさだけど)
しよう。

かみさんの写真とったら、怒りながら消されてしまった。

あーあ。

火曜日, 5月 09, 2006

はてなの社長かっこよい

昨晩、村上龍が司会やっている ”カンブリア宮殿”という
番組みたら、はてなの社長とミクシィの社長がでていた。
二人ともかっこいいよいのだった。

特にはてなの社長。

「お金はご飯みたいなもので、ないと死んじゃうけど
ありすぎてもどうというものでもないし」

というようなことをいっていた。

一番のやりがいは新しいサービスを提供して実際に
つかってもらって喜んでもらったときなんだそうだ。

単に見かけだけとっても、どう見ても、ライブドアの
社長だった人や楽天の社長よりかっこいい。

自分が心から求めるものに忠実に生きようとしているから
かもしれん。

それにしても、自分より一回りも年下の人がこれだけ
活躍しているんだなあ。既に。

自分は何に純粋に一番の喜びを見出せるかというと
やっぱり人を喜ばせる仕事をしたい。
それも僕が助けてあげたくなるような人を助けたり
喜ばせたりできるような仕事をすれば、
それは楽しいだろう。

まあそれだけじゃ株式会社が成り立たないことが
多いのもみてきてはいるが、理想は理想として。

薬も飲みなれてきてしまったのか、今日は薬がそれほど
つらくない。でもこの薬長期に使うと胸が膨らむことがあるとか
チンチンたたなくなることあるとか、インターネットみて驚いたのは
女になりたい男の人(ゲイですね)が男性ホルモンをとめるために
飲んだりしているらしいのであった。

ああおれはどこまでいってもかっこ悪いことが多いな。
魂の綺麗な人になりたい。自分のために。
俺だってかっこよい人生をいきたいのだ。

月曜日, 5月 08, 2006

薬のせいか、さらに気分落ち込む

ゴールデンウィークの最中は気持ちが落ち込むことが多くて
どうしようもなかった。

一体全体?

健康不安と仕事の悩みが頭から離れないからか?

しみったれた気持ちを吹っ切りたくて、ゴルフ練習場に娘といったり
プールに娘連れて行って2時間半も泳いだり、バイクでひたすら山の中を
走ってきたり、音楽をきいたり、としたのだけど、しみったれた気分から
抜けられない。

特に5月6日はゴルフ、バイク、水泳と続けてやってクタクタになって
酒飲んで、それでもしみったれた気分が抜けない。

5月5日は雑木林の公園を散歩して、木漏れ日のしたで昼寝しても
しみったれた気分が抜けない。そのあと、妻の友人のだんなさんと
酒をたくさん飲んで何とか一時的にしみったれた気分を抜け出して
ずいぶん楽しい気分になれたけど、すぐにまた気分はもとどおり。

子供達の力を借りても回復しない。

これはおかしいだろういくらなんでも?

それで医者から処方されている薬をインターネットで調べると
副作用、抑鬱状態と書いてある。おまけにホルモンバランスも
かなり乱れるらしい。

薬のせいとだけとは言い切れないかもしれんけど、
まいったなあ、こんな状態でも今日から少しでも仕事を前に進めねば。

薬飲むのやめようかともおもったが次回医者にあうまで、言われた
とおりに飲んでみて相談してみることにする。

できることを少しずつでも進めて、今の自分なりには頑張っていると
自分を納得させることくらいしか、僕にできるこれ以上落ち込まない方法を
思い浮かばない。

3月にこのブログに書いた入院中にあったおじいさんの話で
「薬のせいで、女好きの俺が女に触りたくなくなった」という話を
思い出した。それをはっきり実感していたんだろうなあということを
自分がこうなってみて、まえより理解できた。

いつもそうなんだ自分がそうなってみないと、わからない。

木曜日, 5月 04, 2006

80歳のゴルフ友達

ゴルフ練習場であうと必ずお話する人に
80歳のいつも陽気で元気な方がいる。

この方はもと警察官で話から想像するに
随分高い地位までいった人らしい。

ところがこの人は天下りをことわって、自分で第二の
人生を切り開こうとしてからいくつも困難を
経験しそれを乗り越えてきたということで、
お話も面白いし、勉強になる。

何といっても暖かい人柄が伝わってくる
ところがよい。

自宅までお邪魔したことがあり、とても上品で
若く見える奥様がでてきた。

この年代の人と話すと驚くことが何点もある。
例えば台湾、中国、朝鮮にとても詳しいのだ。
この年代の人が20歳あたりまで、同じ国として
動いていたから、よく知っているらしい。

戦争で死ぬことも覚悟していたという話もきいたけど
戦争で死ぬことなんて全然怖くなかった、それより
死ぬまでに一度でいいから腹一杯飯を食いたかった
あのころはそんなもんだった。とかいう言葉を聴いていると

本で読んだのではわからない世界があったんだなあと
興味深く話を聴けるのであった。

あんた元気かと訊かれたので、しばらく入院していた話をすると、
自分も若い頃は肺病(結核、当時は今の癌みたいに深刻だったろう)
やらやったけど、今はこうやって元気だから、あんたも
きっと良くなると思って頑張ることが大切だよといってもらった。

ありがたかった。

スヤスヤの魔法

私には二人のまだ小さな娘がいて、
二人とも、自分が寝るときに僕がいると
一緒に寝ようといってくる。

それで、ときどき、右に下の娘、左に上の娘で
両方に腕枕をして、一緒に寝ることがある。

昨晩もそうだった。小さい子供は不思議な力を
もっていて、美しい自然に触れたような感覚を
もたらす。

なんともいえない、暖かさ、柔らかさ、健やかさ、
自分を頼りにしている感じ、そんなものが伝わって
きて、そしてそれ以上の何か、気のようなものが
伝わってきて、こちらも安らかで健やかな
気持ちにジーンとなってくる。

それはそれは素晴らしいことなのです。

他のパパさん達もそういう感じなんでしょうかね。

身体に悪いことが楽しい

昨日、睡眠不足でかなりひどい腰痛のまま、ゴルフ練習場に
早朝いって、早朝優待で300球うってきた。

一球打つたびに、苦痛で呻き声がでてしまう。
なかなか変態っぽい声がでてしまう。

「ウー、 イテー、オウッ」

とか、だって、ともかく、じっとしていても
痛いのに、ゴルフの練習したらそりゃ痛い。

これで、もっと痛くなったら自業自得だからやめる
べきなんだけど、もうそういうことろ理性的に考え
たくないんだ。

もう、こういうことでもっとだめになるなら、
なってやろうじゃないかという気持ちで
いたほうが、よっぽど楽しい。

でも飛ばない、腰が止まっちゃうから手が先に
もどってきて、いつもは右へのスライスばかり なのに、
この日は左への引っ掛けかフックばかり。

そして今朝も6時に目が覚めてしまいまたいってきた。

昨日よりもはましになった。腰痛は思ったほど悪化してない。
いくらか良くなったくらいだ。自分の身体もよくわからない。

とここまできて、僕はこの一つ前に投稿した彼女の
ことを何故、今思い出したのか、よく自覚することが
できた。

今の僕もじっとしていると、頭が変になりそうなのだ。
動き続けないと、変になりそう。それで、あのときの彼女は
こんな気持ちだったかなとちょっと思い出したのだ。

僕の親戚に精神異常になった人はいないようだが、
最近の、自分をとりまく色々なことを一生懸命考えて
すべてを少しでもよい方向にもっていこうと考えると
ともかくじっとしていて良いわけがないことだけは
わかる。無闇なスポーツで何かの現実問題が改善
するわけではないけど、とても大切な気晴らしなのだ。

早く解決策をみいださないと。
とそれを思いつめすぎると、なんだかつまらなくて
息がつまってくる。

そう、僕にはバイク、ゴルフ、水泳、音楽がビタミンの
ように必要なのだ。

彼女の明るい振る舞いの暗い理由

高校生のとき、だからもう25年くらい前のことか
ある同い年の違う高校の女の子とよく会っていた。

随分とたくさん会って、見かけも話かたも可愛い女の子で
会って話しているだけで、楽しかったのだが、
別にそれ以上、近づこうという努力を僕はしなかった。

彼女は僕に会うための時間をよく作ってくれたもの
だと思うが、彼女には友人も多く、社交的で人付き合いが
良いので、僕がその一人に過ぎないとわかっていたし、
それを何とか自分だけの彼女になってほしいという気持ちも
それを行動に移すほど強くもつこともなかった。

彼女はほとんど一人でじっとしていることはなく、
行動的で、よく色々な人とあっているようだった。

大学生になって、彼女と会わなくなった。
お互いなんとなくそうなっただけで深い理由なんてない。

ただ、彼女はともかく明るくて行動的で何か、
僕は気おくれしていたようなところがあったのだと
思う。

大学生になって、確か一年半くらいたって
からだと思う。

彼女から急に電話がかかってきた。
久しぶりに会おうということだ。

あれは確か夏だった。

バーに入ってトロピカルカクテルを頼んだら、
一つのグラスに2本のストローが刺さっていたけど
それを交互に自然に飲むほど親しくもないような、
それでいながら、会うたびに随分色々な話をした
ものだなあと不思議な気持ちになっていたことを
覚えている。

そして話の途中で彼女はこういった。

彼女「私は、いつも人に会っていないと駄目なの」

私「一人だとつまらないから?」

彼女「一人でいると気が狂ってしまうんじゃないかと不安になるの」

私「エッ.......」

話を聴いてみると、彼女の父親は芸術家で大学教授で、
(そこまでは既に知っていたが)親戚にも芸術家が多い家系だ
ということ。そして、親戚に、精神異常になる人がとても多いこと。
それで自分もそうなるのではないかと不安に思っていること。

それで、人にあって話をしたり、いつも何かをしていたりしないと、
自分もおかしくなってしまうのではないかととても不安になること。
そんなことをきいた。実際は彼女はもっと上手に説明してくれたの
だろうけど。

僕は相変わらず鈍感で彼女が単純に明るくて行動的な
だけだと思い続けていた。何もわかっていなかった。

でも、本当にその理由だけで、彼女があれだけ明るく
行動的に振舞うことができたのかも、僕にはわからない。

はっきりわかるのは僕はそんなに人の心をよくわかって
ないということことだった。

火曜日, 5月 02, 2006

もっと牛乳を飲もう

牛乳の消費量が落ちて、酪農家は困っているのだそうだ。

牛乳はうまいのになあ。

最近ときどき作っているのがただ砂糖をいれて、電子レンジで
60度くらいまで暖めたホットミルク。

こんな単純なものが妙にうまい。

単純で簡単につくれてうまいものはよいですねえ。

月曜日, 5月 01, 2006

酒で助かる

昨晩はワイン一本飲んだら、真面目にもの考えることなんか
どうでも良くなってきて、そうなると気分が良くなってきた。

今もちょっともの考えるの面倒で考えなくてすんで丁度よい。

日曜日, 4月 30, 2006

老人の方が青春かもしれない

今朝、ゴルフ練習場にいって、僕の好きな70歳くらいの
人と話をした。アイアンセットを全部買い直して、
スリクソン(旧ダンロップ)のゼクシオに統一していた。

4番アイアンで180ヤードをキャリーで綺麗に連続して
安定して同じ場所に打っていた。
新しい道具もすばらしいのだろうが、70歳でこれができる
ことがどれだけ素晴らしいかゴルフやっている人なら驚く
ほどのことでしょう。

そして帰り際に、もう死ぬまでこのクラブでいきますと
いっていた。

入院中にあったおじいさん達も練習場で会う、おじいさん達も
若い人より自分の人生の持ち時間が少ないことを明確に
意識しているらしく、その分日々を大切にしようとしているようなのだ。

それがまた日々を充実させている。

青春なんてものの意味もよくわからず、この言葉を使うが、
濃密な時間を過ごすことも青春の一つの現象なら、
こういう老人達は、普通の若者よりよっぽど濃密な
青春時代を生きているとも言えるのだろうと思った。

僕も当たり前の日々を大切にしよう。

色々あって落ち込んでました

金曜の早朝に病院いって(仕事に差し支えないように)
お医者さんの説明きいたら、今までの説明とは急に
変わって手術が必要ということだった。

新しい検査結果にくっきりと新しい事実が写っていた。

あーあ。がっくり。

それでも大切なミーティングの予定が入っていたので、
説明もあまり聞かずに、病院からタクシーであわてて
飛び出してきた。

そのミーティング自体が冴えない内容でがっくりくるもので、
さらに頭の切り替えも悪い私はその日の続きの
仕事も憂鬱このうえない状態のまま無理やりこなし、
さらに夜にまた別に大切な集まりがあったのだが、
どうしてもあって話しをしなくはならない人が4時間以上
遅刻して、もううんざりしてしまった。

自分の健康への不安と、仕事のいくつもの悩み事、
これ以上、気分を落ち込ませないことが大切だ。

落ち込んでいると何もしたくなくなるけど、何もしないともっと
落ち込むので、やること、今の自分なりには
頑張っていると思えること見つけてそれを前にすすめよう。

昨晩は、寝るときに下の娘を自分のお腹と胸の上に
のっけてみた。心にジーンとした暖かさが蘇ってきて、
もう少しなんとかやれそうな気がしてきた。

今朝はまたゴルフ練習場にいってきた。

筋肉痛になるほど筋肉を使うと少しは明るい気持ちに
なれるのだった。

それでもなんでも日々は過ぎていく。
生きていることのありがたさと厳しさを同時に感じている。

水曜日, 4月 26, 2006

プライベートバンクを冷やかしてみた

三菱東京UFJ銀行の渋谷支店にようがあっていってみた。
用事が済んで案内板見ると二階にプライベートバンクと
かいてある。面白がって資料でももらってみようときいてみると
プライベートバンク向けの資料はなくて、話をきいてみてくださいとのこと。

俺のようにたいした資産もない人間がきいてみるのも気が引けたが
いつもの好奇心にまけて、その支店のその部門の責任者の女性と
話してみた。

仕組債とかいうサービスもあるというので、それはどうやれば
よいのですかと聞くと最低単位が1億円からとなりますといわれた。

ねえよそんな金。

色々話はきいておもしろかったので、僕もいつかは仕組債頼める
くらいになりたいですねえありがとうといって帰ってきた。

金持ちはより金を増やす方法を専門家が提案してくれ、
消費者金融にいって、”親身のサービス”で余計に苦しくなって
行っている人もいる。

自分はどっちでもない。

僕は大金持ちになって買いたいものもないのだが、
金があれば自由になれるような錯覚があり、
そのため金をほしいと思っているようなところがあります。

日曜日, 4月 23, 2006

高校時代の先輩達との飲み会

高校時代の水泳部の同窓会があり、私の学年から
私だけ参加。

男の先輩達も良い方々で会いたかったが、
それ以上に僕が興味があったのは一学年上にいた6人の
女性の先輩達 6人全員にあえるということだった。

それで実に24年ぶりにくらいにあえた人もいた。

その6人の女の先輩達はそれぞれがそれぞれ
かなり魅力的で、僕の高校時代のかなり強く記憶に
のこる人達だったから。

それで懐かしくって楽しく酒飲んできた。
なぜか仕事は集まった全員が教育関係かコンピューター関係だった。

6人の女性陣は今もなかなかで魅力的だけどやっぱり、
40代なんだよなあとメガネをかけるとよくわかった。

6人とも結婚して全員子供がいるけど、まだ子供が小さい人が多かった。
あの人達相手では、普通の軟弱な男では役不足で、結婚遅くなりがち
だったのかなと、また勝手な漠然とした推測をしてしまった。

その後男だけで二次会いって、先輩二人を自宅につれてきて、
明け方まで積もる話をした。

楽しかったけど、酔いがさめると、また仕事の心配ごとで
頭が一杯になってきた。

それでもキミは会社員

一緒に働いている外人(わざと曖昧に表現)と
金曜の夜にビールをたくさん飲みながら、
彼の仕事の経歴を聴かせてもらった。

彼は25歳にして会社を設立して
27歳でその会社を売却。

数億円を手にして、
次の会社を立ち上げるも今度は大失敗して
その数億円を失ってさらに借金を抱える。

それからMBAをとって、今度は会社員として
頑張りながら、将来的には起業を考えている。

まだ35歳だ。

しかも税金の安いところに自分の居住地を
移し、スカイプやチャットで世界中の友人達と
しょっちゅう連絡をとり、そして猛烈に真面目に
働いている。

しかも、3ヶ月以内に僕とは日本語で話せるように
するから楽しみにしていてくれという。

性格的にもまったくいいやつだ。

参ったねこりゃ、おじさん参りました。

出張ホスト―僕は一晩45000円で女性に抱かれる感想

「出張ホスト―僕は一晩45000円で女性に抱かれる」
という本を読んだ。

こういうことが実際にかなりあっさり普通に行われているん
だろうなあと、感じさせる文章だった。

自然で無理のないリアリティーがあり、
でも内容は、世の中そんなものなのかいな
というものだった。

普通にいくらでも相手を見つけられそうな女性達が
敢えて、お金を払ってまで、セックスの相手をして
もらう意識の中には、

お金を払ってサービスを提供してもらうという立場を
とることが、逆に精神的に傷つけらないような安心感を
もてるらしいこと。

また、明確には書かれていないが、この著者は
お客さんの女性が、ホストなら普通より高い性的
テクニックと体力をもって楽しませてくれるだろうと
具体的に期待していることをわかった上でそれなりに
それに応えようとしているようだ。それもどこか
冷めた感じでそれを書いている。

さらに、そうでありながら、まずほとんどのお客さんが
身の上話をすることに高い料金に組み込まれている
時間を使っている。

あとがきには出張ホストを利用している女性作家が
出張ホストに金額以上のサービスを提供してもらって
感謝しているということが含まれる文章が書いてあった。

こういう人達を僕は批判する気は全然ない。

ただ、二人の娘のことを考えると。
その輝く瞳と表情をみると。
将来、こういうサービスを利用するような状況にも
大人にもならないでほしいと純粋に思う。

でも、おそらくこのサービスは今後もドンドン広がって
いくのでしょう。

木曜日, 4月 20, 2006

ありがとうYさん

Y様のおかげで、今の仕事のサービスをあるポータルサイトで
つかってもらう話が、より具体化した。嬉しいことだ。

元同僚のY様に感謝しきり。

このチャンスをいかさねば。

水曜日, 4月 19, 2006

ブレンダが必要?

英語圏の人が、
「俺にはブレンダが必要だ」
といっているから

ブレンダっていう彼女でもいるのかとおもったら
日本語でいうろジューサーミキサーのことだと
わかった。

それで彼は朝から特別レシピのスペシャルジュースを
作って毎朝のむんだとさ。

野菜多種類、豆乳、ナッツ類のミックスされたものらしい。

とても健康によいとかで、僕にもそのレシピをもってくる
といっていたので、丁重に断ろうかとおもったけど、
英語でそれいうのもとても面倒なので
サンキュー、といっておいた。

もう英語疲れたよ。なんでもサンキューですましたい。

サンキュー

月曜日, 4月 17, 2006

また病院で思ったこと

また病院で検査をうけた、これは放射性同位体が身体の一部に
集まったところで それを写して形をみるようなものらしい。

まあいくら健康に影響のない微量といっても身体の中から、
感光できるほど 放射線だしていると考えると、なんともぱっとしない。

今回の入院にともない、最近の医学についての話題とか、
自分の経験とか 考えてやっぱり気がつくのは、ある種の科学の
限界が現代医療でもよく でているようだということ。

分析ばかりで、一個人の身体総体ととらえて、それをやることが
本当に 良いことか否かという判断が十分になされていると
考えにくいといういこと。

科学と医学の進歩でより細かく分析し、より効果のある薬も
できたけど それが、本当に一個人の健康に本当に良いのか
を十分には 議論も判断もできていないようにみえる。

たとえば、高血圧の判断基準値はさがり続け今では、
上が130mHg下が80mHgだかを 超えると、
高血圧と診断され、降圧剤が処方されるとのこと。

ところが、この薬で血圧はさがっても、寿命が延びるともかぎらないらしい。
ある統計によると、血圧抑えて、確かに心臓と脳の
血管障害は減ったものの かわりに癌が増えて、逆に寿命が短くなった
ともある。なんじゃそりゃ。

身体の各部に血液を確実におくるためには血圧は高いほうが良いはずだ。
それを無理に抑えると、身体全体としてみると良くないこともでてくるらしい。

ことほどさように(表現ふるいね)、何をやれば本当に身体に
良いかはわかり にくいことらしい。
そういう事例は枚挙にいとまがないようだ。

例えば、最近の生命保険会社のデーターだと、ちょっと太めが一番長生きらしい。
ところが、長いこと、それよりかなりやせていることが健康だとされてきた。
やせている人の寿命ははっきりと(特に男の場合)短いと統計データにはでて
いるのに、なぜかデブの健康への脅威ばかりが強調されてきた。

健康診断受けている人と、何もしない人の統計データーでも
その後の寿命は 統計的な差異がないらしい。

実際僕も今回、自分の身体が不安だとと思い込まされたのか
実際不安な状況なのかしらんが、もうそりゃかえってともかく
心身ともに元気なくなるわけです。

自分の身体を信じられなくなるわけだから。

さて、それで、実際、個人としてはこれへの対策はあるのかというと、
あんまり なさそうだよなあ。

でも、自分の身体の状況を、感じ取る能力を上げることが一番なんだろうな。

身体に良いものはおいしいと感じとれるように、
自分の身体が限界近い状態なら それを感じ取れるように。
ただ寝転んでいるのが怠け心のせいだけで、
身体は動きたがっているのなら、それをかんじとれるように。

無駄な検査や手術で死んだ人や、かえって健康状態落とした人なんて、
きっと、たくさんいるはずだ。

癌になったお医者さんの本とか読むと、
あんまり検査うけないほうがいいとか 書いてある。

ああでも俺はもうここまできたら、一応の決着、
なんで、入院も9日間もして こんなに検査づけなのか
結果をみないと納得いかなくなってきた。

どう考えても、データーをみても僕の身体はそんなにボロいとは思えない。

ところで、血を固まらなくする薬を今もらって飲んでいるのだけど、
昨日のバイクで事故っていたらそれこそ、やばいよなあ。
血がとまりにくいんだから。

自分の身体を大切にするには、適当にいい加減で、適当にポイント押さえて
やっていくしかないようです。神経質だとまた身体に悪いし。

日曜日, 4月 16, 2006

高尾の周辺の周回コースをバイクで


バイクで久しぶりに(今年初か?)

慣れ親しんだ高尾、陣場を周回するコースを走ってきた

久しぶりにバイクにのると、バイクにまつわる楽しかったことばかりを思い出す。バイクで楽しいことがたくさんあった。うれしい、色々な感覚をおもいだす。これは走っている途中に携帯のカメラでとった景色。嬉しくて走り始めた最初の30分は目が潤んでいた。2輪は確実に僕の命の一部だ。

ノニジュースで実験

まえまえからときどき、ドラッグストアで見かけて気になっていたものがある。
(もっともドラッグストアは細かく見ていくと気になるものが色々みつかる)

でも一番気になりながら、何ヶ月もほうっておいたものはそう

「ノニジュース」

結構高い。僕の好きなドラッグストアの店長は家族でこれを飲んでいるという。
副店長は自分も飲んでみたが、あまりのまずさに途中であきらめたといっていた。

店長は通風で、尿酸値が高かったのが見事に正常値になって、以来これを
飲み続けているということだった。

自分も入院から健康が余計に気になるようになって、金曜の夜にかってきて
飲みはじめた。きいているのかどうかよくわからないけど、早速変な夢をみる。
身体になんかの作用をしている、でも変な夢みるような状態が身体にいいんだか
どうだか。

早くも血圧は下がってきている。本当かよおい?ノニジュースのせいか確信はないが。

さて味は、言われているほど特別に口にできないほどまずくはないのだが、
匂いがすごい、うまくひょうげんできないが、もしおがくずを醗酵させることが
できたらこんな匂いになりそうな気がする。酸っぱいような、腐ったような、
独特のにおい。

でもひょっとして身体によいなら、飲み続けちゃおうかな。そう僕は少しでも
健康で長生きしたいだけなのかもしれんが。

さあバイクで死ぬほどすっとばしてくるかな、天気よくなってきたし。

週末のカレーつくり

ナス、ひれ肉、ばら肉、ジャガイモ、玉葱のカレーをつくった。

先に玉葱を切って炒めはじめると、

「先に肉を炒めないと臭みがのこるのよね」

と妻がいう。

チックショー(小梅太夫みたい)

そこから挽回するために、すぐに肉を適当にきっていれ、
なべのふたをして、玉葱と肉が、多少焦げるくらいまで加熱しながら、
ジャガイモ、ナスをきって、少し時間をおいてから、
加熱して、ナツメグ、粗引きコショー、あまったキムチ、ソースも少し、
ゴマをたくさんいれて、水を1000CCくらいいれて
しばらく煮込んでからバーモンドカレーを一箱分入れて

ああそうだご飯も少ししかないから炊いてと。

そうやって出来上がったカレーはかなりうまかった。
子供もよろこぶ、妻は、私をほめることはないが、翌日までいれると
4杯くらいたべていたようだ。

料理はこれからもときどきやろう。面白いし喜ばれるから。

本当は酢豚が一番自信あるのだけど、後片付けが大変だと
妻にいわれるので、もう何年もつくってませんですます。

シャネルの言葉にびっくり

「実際にどう生きたかということは大した問題ではないのです。

大切なのは、どんな人生を夢見たかということだけ。

なぜって、夢はその人が死んだ後も生き続けるのですから」

シャネルっていう女性が昔こんなことを言っていたことを
読んで、可愛く思えた。

ただ馬鹿高いブランド物で儲ける会社作っただけではないんだなあ。
あるいは仕事は仕事で割り切って考えていて、そこで儲けた金で
自分の好きな芸術家を助けるとか、納得できることにお金を
使うことが大切と考えていたのかもしれない。

いったいどれだけ透徹した目でものをみていたことだろう。

木曜日, 4月 13, 2006

たそがれ清兵衛と自分

しばらく前に (もう何年か前か)

「たそがれ清兵衛」をみた。

主人公を演じる真田広之が「清兵衛を演じているときの自分は幸せでした。」
言っているのを読んでずっと見ようと思っていた。

私のとって最も感動的は場面は

決闘が終わったあとに、自宅に戻ってくると
二人の娘を二人同時に抱きしめてそのまま抱きあげて立ち上がったときでした。
決闘で傷ついた身体では実際はそんなこと難しいはずなのに
なんとか家にたどりついて最初にしたいことがこれだったんだなと思うと
自分も一緒なので、勝手に感動して涙を流した。

自分も二人の娘がいて二人同時に抱きしめてそのまま立ち上がると
なんとも言えず嬉しい。

もし自分がボロボロになって自宅にたどりついたら、やっぱりそうしたい。
その瞬間で全てが報われたような喜びがあるのです。

そして、子供をもつまで、自分がそういうことをこれほど
嬉しいと感じるとはわからなかったです。

この映画は出世も望まず、不器用で、奥さんにも先立たれ
その後、宮沢りえ演じる、子供のころから好きだった女性と
ようやく再婚するものの、それからいくらもしないで早死にするという
周囲からはついてない人生を生きたと思われている男が、
実は幸福だった(らしい)と、その人の幸福はその人でないとわからないと
いってもいたようにみえるのでした。

水曜日, 4月 12, 2006

仕事には挑戦し続けよう

昨晩帰りがけに、日本のお客さんからの要望をかなり直接的に本社の経営陣と開発陣にメールを送った。

なぜそうなのかをかなり的確かつシンプルに事例を交えて説明したつもりだ。

今朝は早速電話がかかってきて、英語でいろいろ説明してくれてその親切心は
非常にありがたいものの、最後には

「日本のお客さんの質問はシンプルでわかりやすく的確なのに、なぜ
あなた達の説明はそんなにわかりにくくシンプルでないのですか?」

ときかざるをえなかった。

またこんなあまりにも直接的なスタイルをとると僕はここでの仕事も短命に
終わるかもしれないけど、自分のスタイルは変えられないと今では、わかっている。

42歳でもこんな調子で、次はもう今度という今度は失業かも(これはもう10年前くらいから
思っているわけだが)しれないが、本来の自分でないスタイルでは、
僕は一段とストレスがたまり、また入院しかねないから。

「これでいいのだ」 バカボンみたいだが。

しかし、先日の土方やっている人の書いた本読んでその知性、感性、他人へのやさしい視線等に
感激したが、博士課程だかPhD(一緒か)もっていても、とても知性がそれほど高くないように
見える人もたくさんいるなあ。誰が賢くて、誰が賢くないかなんて誰にもわからないのだろう。

僕だって まだやれるくらいの賢さはまだあるかもしれないかもしれない。
あると信じてやってこう。今日は博士達を説得してしまった朝であった。
これを侮辱とうけとられないとよいが。

火曜日, 4月 11, 2006

4月8日から11日4時まで

忙しくて疲れて、BLOG書く、時間も元気も数日間もてなかった。
それで数日分をまとめて書く。

4月8日(土) 何とか新しい仕事を一週間のりきって、金曜の夜に
おいしいビールを飲んだのだが、土曜は疲れがドーとでてきて動けなかった。
特に、英語でしかコミュニケートできない環境に一週間急におかれて
日本語でも説明難しいことをなんとか説明したり聞き取れないことを
無理に理解しようとしたことが、脳を無茶苦茶に疲れさせたらしく、
滅茶苦茶にボーっとして、身体以上に頭に力が入らない感じであった。

こういうときは何も考えない方がよいのだが、こんなんで、仕事続くのか
早くも不安にとらわれる弱気な自分なのだった。

そんな中「強く生きたいキミへ」大山倍達著を読み、
ああ凄い人がいたもんだなあと感心する。
空手馬鹿一代は昔アニメでみていたが、また違った感慨を覚えた。

自分が心からしたいこと、「志」の達成に向かってひたすら生きる姿は
僕には眩しすぎる。

4月9日 まだ多少疲れていたが、ただ寝ているとさらに落ち込むことが
多いことをよく知っているので、朝からゴルフ練習場へ。

ドライバーで全力でうった球の5球ほどが奥のネットまでとどき、うれしい。
入院生活、先週末は腰痛で動けなかったことを考えると上出来。
でもいくらか追い風だったらしい。それでも嬉しいが。

練習の距離を表示してある看板によればまたなんとか275ヤードくらいまでは飛んでいたようだ。

それと、ダウンスイング開始直後あたりをゆっくり丁寧にすることで、ミート率と飛距離が向上した。
ゆっくり振るつもりで振ることが、より遠くへ飛ばすためにヘッドスピードを上げている
ことになるらしいのだけど、それがなぜかはよくわからず。

そんなこんなで300球打ってまあまあの気分転換になった。
自分の身体がまだまだ動くことに喜びと安堵を覚えた。

家に帰ると、妻からの強い要望、強制で、部屋の本を片付けた
上の娘が手伝ってくれて助かった。

結局170冊あまりをブックオフに売りにいったが、3700円程度でなんだがなあこんなもんかなあ
という感じ。でも部屋が片付いたことで気持ちがちょっとすっきり。

そのあと上の娘とイトーヨーカドーもふらふらして、食材と靴(マドラスの歩きやすいやつ)と鉛筆一ダース(娘用)をかう。

日曜の夜は明日からの仕事のことを考えてまだ2週目だというのにかなり鬱になり、
イトーヨーカドーで景品と一緒にバイトの販売キャンペーンをやっている女性(キャンペーンギャル?)
からかったドラフトワン(発泡酒を2缶飲む)

さて月曜からまた仕事仕事なのだが、今日はまた病院に行って検査をうけ(新しい仕事
はじめたばかりでちょくちょく病院いってまたクビか?とまた不安と諦めと、何とかなるさ
という気持ちが混ざった不思議な気持ちになる。

そういえば、昨晩は(月曜夜)親戚のおじさんの通夜にいった。
証券業界で大変活躍された方でインターネットで名前を検索すると
ある種の伝説の人物らしい。もっとも妻の親戚で僕とは何の血縁もない。

去年今年と正月に挨拶にいったら、話がとても面白い方で5時間ほど聴いた。

その方も79歳で永眠された。話の何が面白かったかというと、
絶対絶命の状態の証券会社に乗り込んで車と運転士が何回も変わるくらいの
営業活動をして会社を立て直すんだよね。このおじさん。

推測するに、たぶん上司にうまくおべっか使えないタイプで
難しい仕事を任されるけど、その度それにめげずに解決してきた人らしい。

自分も本当はそんな男になりたいが、まだまだで弱いことを自覚しているから
一段とそのおじさんがかっこよく見えた。

さて今日は病院で放射性同位体を静脈注射された。
薬は確認したら、また出し忘れていたようで、病院任せにはできないなあと
再認識。結局病院や、医者からみれば患者は多くの中の一人に過ぎないけど
自分にとっては自分の身体は唯一無二のものだがら、自分でチェックして
気をつけるしかない。

さて、相棒のオーストラリア人が海外出張にでかけ、少し息をぬいてこれを書いた。

以前、ベルギー人と働いたこともあるけど、彼はプレイボーイだったなあ。

さて今週はあと3日間と少し。

土曜日, 4月 08, 2006

「みんな土方で生きてきました」という本

土方の仕事をやってきた人が淡々と自分の仕事経験を書いた本を読んだ。
土方の仕事が、ある意味心身ともに非常に健全に生きることのできる
稀有な仕事なのではないかと、これを読むと思えてきた。

1.身体を実際に動かす仕事であること
2.その結果、仕事が形になった物(ダムとか、防波堤とか)となり成果をかんじられること
3.土方仕事をしている人同士での密接でなかなか暖かい人間関係ができるらしいこと

でもその仕事の大変さもこの本だけからもつたわってくるので、この仕事の
実際のところはやはり体験してみないとわからない。

でも、土方仕事って、漠然と経験してない人が想像するより、良いものなのではないかと
思わせてくれる本であった。

新しい仕事のほうは最初の一週間をなんとかこなした。
あまりに親切で協力的な同僚達がひたすら働いているので
まるで息が抜けず、かなり疲れて、昨晩よく眠ったのにまだ
頭がボーっとしている。やはり仕事は実際にやってみないと
わからない。

木曜日, 4月 06, 2006

チンチンは大丈夫か?

月曜からの仕事で来ている会社の中国のオフィスにTingtingという女性がいて、
電話会議でのやりとりを頭の中で日本語訳していると妙な感じだ。

「ヘイ、チンチン、来週の××との交渉はうまくいきそうか?」

「チンチン、問題はないか?」

「ハイ、チンチンちゃんときこえているか、そこにいるのか? 」

お偉いさんに頼りにされているらしく、彼は何回もチンチンに声をかける。

僕は彼女にチンチンの日本語での意味を説明すべきなのだろうか?
日中関係はややこしいからなあ。

そういえばJingjingという中国女性にもあったことあるけど。
続けてきくとチンチンがジンジンしそうだ。

英語ばかりで頭がジンジンしているのは事実です。
入院生活が懐かしくなるほど、忙しい。

火曜日, 4月 04, 2006

新しい仕事開始

金曜の夕方くらいから腰がかなり痛くなってきたけど、
妻を高層ビルのレストランに連れて行き食事をした。
夜景がきれいで彼女はそのときだけは喜んでいたようだった。
慣れないことをしたせいか、(そんなわけないけど)
腰痛はそこから加速度的に悪化していき、
帰りの道ではうめき声を上げながら立ち止まりながら
道路に寝転がりたくなりながら、家までたどりついたら、もうベッドに自分の
足を引きずり上げることすら、あまりの痛みになかなかあげられない。

妻はその後用事があり、子供は親戚にお泊りででかけ
激痛だか寒さだかわからない震えに耐えてベッドの中にいると
心細くて、一人暮らし時代を鮮明に思い出した。

さて、僕はこのBLOGを開始した2月から会社を退職し、
無給で手伝う使命(僕にとっては利害を超えた大切な仕事)を
もち、入院し、退院し、今週の月曜から
また新しい仕事を開始した。

今日で二日目をなんとか終えられそうだ。

普段英語使ってないのに、日本人は僕だけで、
まるであたらしい仕事で、刺激と嬉しさと不安と疲労とが
渾然一体となった感情を抱えたまま、また新しい仕事を開始した。

今日もたくさんの人にあった。

また血圧も上がり、脈も一段と不規則になってきた。

慣れない英語と腰痛で、汗がボタボタたれる。相乗効果。

俺も一種の男版の「嫌われ松子の一生」なのかもしれない。
仕事には何回大変な思いをしても夢をみずにはいられない。

自分が何かの役に立っていると感じられなくなったら、
そしてこれからも役に立ったり活躍することを見出せないと
思うようになったら、僕は世捨て人のようになって
バイクででも放浪するか、南の島で海にもぐり続けるか。

ああそれの方が楽しいかもなあ。支離滅裂だな。

木曜日, 3月 30, 2006

嫌われ松子が気になる

こないだ読んだ「嫌われ松子の一生」が映画化される。

特別に素晴らしい小説とも思わなければ、読後感は、
”そりゃあんまりだろう”という気持ちを残すものなのだが、
一気に読みきってしまい、記憶に残る小説となった。

希望をもって頑張るのにトコトン失敗を繰り返して
ドンドン不幸になっていく松子、

一体何が悪くてここまで不幸になるんだ? 

なんでこんな主人公が可愛く思えてくるんだ?

松子の

状況判断の甘さ。
自暴自棄のようになることがあること。
男を見る目がなさすぎ。
自分の能力は高いのに、男の心に依存しすぎ。

まあ理由はいくつかあげられるが、やっぱり、松子が気になる。

松子は男に愛されることを優先しすぎたから生活がアンバランスに
なってしまている。でもそこまで愛されることを純粋に大切に
考えて頑張って努力する女が、あんまりいないように感じているから
彼女が可愛くみえるのだろう。

しかも相手は全く打算を期待できないような男ばかり。

幸せと愛情を強く願い、そのために努力するも、失敗ばかり。

小説とはいえ気になる。

水曜日, 3月 29, 2006

入院中あった楽しいおじいさん達

色々な病気を抱えて入院している陽気なおじいさんと話していたら、
例えば高血圧でも塩辛とラーメンが好きで、たくさん食べてやると全然こりてない。

ところがそんな陽気で強気なおじいさんでもポツリというのであった、

「薬のせいで、女に全然触りたくなくなった。」

「それは歳のせいでは?」

「馬鹿いえ、俺みたいな女好きが、女に触りたくなくなるなんて薬にきまっている」

どうも前立腺の病気のために女性ホルモンだかの薬ももらっているらしく
それのことをさしているらしいのだが、そして本当にそうかもしれないが、
それより興味深いのは、かなりまずいらしい高血圧や心臓の病気より、
自分が女に触りたいと思わなくなったことのほうが彼にとっては深刻らしいということだ。

女への興味を失うことが死ぬことより気になる。それが男だ。
じいさんあんたは偉い。

火曜日, 3月 28, 2006

一体どこまで調べるのやら

今日も病院行ったら色々な検査で朝から3時までかかってしまった。
さらに4月の予約がもう5日分もはいって、その検査結果が
そろったら、その分野に詳しい(その分野のオタクがいるとお医者さんがいっていた)
大学病院に紹介してくれるそうだ。

それも先々考えるとそのほうがよいでしょうからという程度なのだが、
乗りかかった船じゃないけど、検査をここまで続けると、
一応の納得をみるところまでいかないことには自分もなんか
落ち着かない。

病院では全ての検査結果と私の発言や医師の所見がオンライン化
されていて、予約もその画面からよびだせるようになっていた。

私の画面でちょっと診れたのは
患者主訴
「退院したい」

そうか退院したいといわなかったら、僕はダラダラまだ入院していたのかいな。

昨日は子供と料理に励んで楽しかったのであった。ポークソテー、エリンギとエノキの炒めもの
ヨーグルト、玄米が20%くらい入ったご飯。

日曜日, 3月 26, 2006

お客さんとの週末

赤ちゃん含めた3人家族のお客さんが金曜夜からきて2泊して帰っていった。

我が家は4人家族であわせて7人の大家族みたいな感じで過ごして、楽しかったです。
まあその家族とは気楽に付き合いだし、良い方々なので、特にそうだったのでしょうが。

そのお客さんの一人とゴルフ練習場にいったところ、
ドライバーの飛距離が落ちていた。
今までは良い当たりだと看板表示で280くらいだったのが
今は良い当たりでも260くらいがせいぜい。ガックリ。

病気のせいというより、入院しての運動不足とか、自分の身体に自信が
もてなくなって力が入らないとか、もととも下手なので、しばらく練習して
ないでさらに下手になったとかいうことらしい。

そのあと、在日朝鮮人(韓国人と書くべきなのだろうか?)の小説家の
李良枝、ヤンソギル(漢字にうまく変換できない、「血と骨」書いた人)
とかの本をいくらか読み返した。

李良枝はきっと凄く魅力的な人だったのだろう。
ヤンソギルの小説の中に、(どの程度ノンフィクションかはしらないが)
李良枝をモデルにした、彼女との恋愛をかいた小説がある。

彼女は芥川賞をもらっていくらもしないで37歳で死んだわけだが、
尾崎豊の死やそういったものと、ある意味では共通したものがある
ように思う。感性が鋭く、行動力があり、感情も豊かでそういったものが
過剰で若いうちに生命を燃焼しつくしてしまう。という書き方が情緒的
すぎるなら、単純に健康的な生活をおくれないほど、感情が走って
しまうのではないだろうか。

僕は、中途半端に悩み中途半端な病気になり、42歳と半年生きた今も
こうやって生きている。これからも中途半端なままで生きていこう。
突き詰めて死ぬなら、中途半端な生き方でもそのほうが僕には良い。

なんかもう何かがおわっているのかもしれないけど。

金曜日, 3月 24, 2006

とりあえず退院

昨晩、急遽退院させてもらうこととなって、今日は娑婆の空気をすっている。
最初は新鮮、すぐに色あせてくる、娑婆の空気。

それにしても自分の状態も、普通の健康診断なら、どこにも悪いところを
発見できない程度でも、こうやって細かく診てもらえるんだから、
よしとしよう。と無理に納得させようとすると無理があるか。

70才前後の入院中のお話友達がエレベーターまで見送ってくれた。
一昨日手術したばかりで、歩くのもかなり難儀なのに。
35年間船乗りとして世界を回った話を聞かせてもらった。
話におおらかさがあって博識ななんとも良い感じの方だった。

自分の病気も気になることはなるのだが、この悲観的になりがちな僕が
考えても、大事にしていけば、平均寿命くらいはいきそうに思えるので、
まあすっきりしないとはいうものの、考え過ぎてもしょうがない。

インターネットで調べたことと、お医者さん達が話してくれたこととは
全く一緒であった。 (これから、専門知識というものにどれほどの
価値を見出せるようになるのだろうかとまた大げさに考えてしまった)

不完全な身体で楽しくやっていこう。12年ぶりくらいの入院で、
昔の入院生活のことを思い出したり、ぼんやりしたり、
WBCみたり(日の丸背負って世界一になれる団体競技は素晴らしい)、
本(嫌われ松子の生涯)と雑誌をよみまくったり、 した。

医学が進歩しているのもよくわかった。

人間ドックよりさらに調べたことになるが、150項目くらいも調べられて
異常な値は2項目、逆に自分はかなり健康なのではないかとすら
思ってしまった。

でもとりあえず、もっとやせよう。

水曜日, 3月 22, 2006

病院内に接続環境発見

でも10分100円。高い。

まだ入院していて何をする気にもならず。さえない。
本でも読むしかない。
あとおじいちゃんたちの話を聴くのも、楽しい
おじいちゃんは楽しい。

でもなんで俺だけおじいちゃんたちと一緒にここに
いるんだろなあとつい考えてしまうと、またさえない
気分になる。

ああまた100円入れなきゃ。

80代の戦争経験のあるおじいちゃんから話をきいたら
「鉄砲のたまにあたって死ぬ兵隊なんて100人に1人で
ほかはみんな病気や怪我を治してもらえず、死んでいった。
あんたなんか、ちょっとした病気でもこうやってみてもらえて
幸せだよ」

といわれ、そういう考え方もあるのだなあとすることととした。

看護婦さんとお医者さんがとても親切な病院である。

入院中にブログを書くのも珍しい経験ではあります。

水曜日, 3月 15, 2006

ベンチャー企業と表社会と裏社会と

今まで、色々なベンチャー企業の経営者や役員の方特に彼らが有名に
なる前に あってきたことがあるので、特にそう思うのかもしれまんが、
ライブドア事件は 派手ではあったけど、特別悪質とも言い切れないの
ではないかと考えています。

もっとも悪質の度合いを数値化できるものでもありませんが。

結局、金が急激に儲かる、キャッシュがたまるところには、表社会も
裏社会も 関係なく、色々な勢力が急に集まってきて、それとどの程度
つきあうか、 付き合わないか、色々な判断をせざるをえなくなるはずです。

堀江氏は善悪はともかく度胸はあったようにみえます。

怪しいということでは、ライブドアほど派手ではなくても、経営陣の過去を
インターネット上からたどっていくだけで、堀江氏より危なそうな過去を
引きずる人たちはいるらしいことが、私には容易に推測できます。

そういうことから考えると、堀江氏は緻密な計算もしていたらしいのに、
同時に驚くほどの無邪気さで危険性の高いことに足突っ込んだまま、
目立ちすぎてしまった。ということなんではないでしょうかね。

さて、僕個人にとってさらに考えざるをえないのは、僕自身には
怪しいことをすべきでないと強く思い、実際にそうしてきたけど、
いまだビジネスで大した成果をあげてきてないということですね。

このまま、清く貧しく美しく(まあ彼らに比べればだが)でいいのか?

まあそれでいいともいえるし、清いから成功できない言い訳にしてはいけないですね。

自分のスタイル変えずにいけるところまでいくしかないな、明日から入院だけど。

明日から入院か?

明日から入院とお医者さんには言われたのだが、全然現実味というか実感がわかない。
まあともかくいってみよう。何とかなるさ。何とかならないときはそれまでのことさ。
いや多分なんとかなるでしょ。

火曜日, 3月 14, 2006

ともかく入院することになった

まだ日はきまってないが、手術もすることになるかもしれない。
意外と自分は冷静なのだが、子供達の寝顔をみていると単純にまだまだ頑張れる身体に戻れることを強く願った。まあでもこういうときもやれることを淡々とするしかないですね。

これだけ体調変なのにきちんと調べてこないできたのは、冷静でなかったということです。

そんなわけではじめたばかりのこのブログもたぶんしばらく書けなくなります。まあ読者もすくないし、
独白みたいな文章だし。まあいいか。

日曜日, 3月 12, 2006

今日もぐったり寝てばかり

これで二日間 家から一歩もでなかった。
咳止めの薬のんでそれからあんまりしないで
酒のんで、ききすぎてしまったみたい。
危ない。

こんなにボーっと何もしない二日間はいつ以来だろう。

何もしないと、一段と自信がなくなる。
そういうときはもう考えすぎずに明日からやれることを
たんたんとやろう。 

ぐったり寝てばかり

よほど色々な疲れがたまっていたらしく、深い眠りが続いて、今日は家からでてない。
まあこんな日があってもいいか。というよりズッとかりかりしていたから、咳出てたり
してたんだなあと実感した。

土曜日, 3月 11, 2006

病院で思ったこと

今日は色々病院で検査して、結果をきかずに、月曜にまた検査にいくことになったのだが、
それより、色々検査してもらっていると、自分の身体って不思議だなあとおもう。

人間の身体はもちろん無意識のままに、たくさんの化学反応、物理作用、を相互に
複雑に連携して生きている。でも僕の意識はそんなことはしらない。

非常に複雑な機械に心がついている。僕は機械の仕組みはしらないのに
心の反応だけかあら、自分が何者かを考えてわかった気になろうと
することがあるけど、そんなもの、思い込みにすぎない。

これだけ検査してやっとほんのちょっとわかるだけ。

ああなんでおれはこんな酔っ払ったときもこんなことかいてんだろ。
とこういう心の傾向をもった人間がなぜできるのかは病院の検査では
わからない。精神科の検査ならわかるのかな?

薬指がうずく

薬指の長い男は、胎児の時期から男性ホルモンの影響をうけて、
こういう特徴がありうんぬんかんぬんとかいう記事をよんだことがあり、
ふと自分の手をみると、
「俺の薬指、中指とあんまり変わんないくらい長いじゃん」
と気がつき、それいらい時々薬指がうずくような気がする。

でも男性ホルモンの影響受けたのが本当なら、そのわりには男らしさが
足りないな。

この子どこの子

家に帰ってきたら、あれ自分の子供の雰囲気がいつもと違うような、じゃなくて違う子だ!
子供の友達が泊まることになっていたことをあとで知る。なんか子供が多くて楽しいぞ。
みんなかわいいなあ。

せき止ったら早速、酒のみたくなって、飲んじゃっていい気分だ。

でもまだちょっとだけ咳残ってるんだ、ゴホゴホ。

金曜日, 3月 10, 2006

せきが止まりかけて

そんなことが、とってもほっとする。あーあ助かった。セキが仕事の生き物みたいになってたからな、この一週間。明日は晴れらしい。バイクのエンジンかかるかな。

せつなさについて

僕は切ない気持ちになるときは必ず、
今自分の感じているものが儚いものだと、感じている。
それと同時にその儚いものをとても失いたくないと感じている。

そんなときはせめてそれを心の中に残しておきたいから
五感を精一杯使ってそれを感じて、記憶しようとする。

だから切ないという感じは、貴重なものだ。

例えば、そう、内気な中学生が初恋の人に何も自分の思いを
伝えられずに、卒業式を迎えるとき、そんなときは切ないだろうな。

でも生きているなら、本当は一日一日を、切なくなるくらい、
大切にしていきたい。

僕を切ない気分にさせてくれる皆さんありがとう。

なんで今晩はこう感傷的なんだろ?

木曜日, 3月 09, 2006

僕の心臓はレゲエのリズム

咳は今日はかなりラクだったのだが、クリニックいって
聴診器あててもらったら、脈が不規則だといわれ
心電図とったら、治療が必要といわれ、あす大きな病院で検査と
なりました。

どうなっちゃうんだろと他人事のように思う俺。

理想は他人の痛みを自分のこととのように感じ
自分の痛みを他人のことのように感じたい。

でもそんなことを理想に思うほど、実際の自分がせこい
ことを知りすぎている。

これじゃこのブログタイトルからバイクとゴルフを消さなくちゃいけなくなったりして。

ところで、その昔長い入院生活をおくったことがあり、
4ヶ月間ほど病院で生活していたとき、死んでいく人達の
多くが、生きていて一番印象的だったこと(と思われる)
ことを僕に話してくれた。

戦争経験のある人は戦争のことを、若いころ漁にでたころの思い出、
自転車で山の中をはしって弁当をたべた思い出、

みんな色々な思い出を語ってくれた。

語られた思い出はみんなきれいな景色を想像させるものが多かったように記憶している。

そして僕はその後元気に退院できたのだが、何をやっても、
俺は折角生きているのにこれでいいのか?
とよく考えてしまうようになった。

心臓がレゲエのリズムなら、僕はもう一度そのことをよく考えたい。
たとえそれがもう中年になった自分には青臭く思えても。

自分が死ぬとわかったとき僕は何を話したくなるだろう。

水曜日, 3月 08, 2006

春だなあ

てんてこまいで、きりきりまいで、ピンチの連続の日々をすごしていると
急に暖かくなって春がきたなあとわかるときに、

「ああ、こんな僕にも春がくるんだなあ」

と当たり前のことに、感激というか、深い感慨を覚えるのでありました。
昨年も今年も。

火曜日, 3月 07, 2006

ソフィーの選択でのメリルストリープ

”ソフィーの選択”という映画があって1983年だからもう20年以上昔の映画だ。
戦争の中で仕方なかったとはいえ、自分のしたことに苦しむ主人公を
メリルストリープが演じている。

今日、咳をしながら寝てばかりいると、ついつい過去の嫌な
出来事を思い出してしまい。

そこから連想して、この映画は主人公が過去の呪縛から
逃れられないということでつい思い出した。

映画のテーマの重さや、戦争の悲惨さ、色々なものをこの映画は
抱えていて、見た人はそれぞれの感想を持つでしょうが、
僕にとってはともかくメリルストリープが素晴らしかったと
いうことがなにより強く心に残った映画でした。

死ぬほど悩む美女の魅力は不健全で強力で、
この映画の中のメリルストリープは自分自身がここに
今も生きていてはいけないのではないかという気持ちを
抱えながら、生きているから、素晴らしく繊細で感受性が
強く見えたのだと思う。

現実世界にも、壊れた男や、壊れた女の方が好きだと
言う人いますねえ。自分はそういった趣向は映画や
本だけにしたいとは 思ってはいます。

そういえば、昔、友人のおばあちゃんにあって、後からきいたら
そのおばあちゃんは戦後中国だか朝鮮から引き返してくるとき
たくさんいる子供を全員生きて連れて帰るのは無理と判断して
病気の子供を船から海に捨てたんだそうです。

そのおばあちゃんはなんともいえない良い表情をしていて
強くて健全そうで、そういうものこそ見習うべきかもしれない。

それにしても咳がとまらん。ゴホゴホゴホンゴホン、ハーハー。

咳で寝てた。

昨晩から咳がさらにひどく、今日は家で寝てた。よくこれだけ眠れる
というくらい眠った。ただただ、ベッドでぐったりしていた。
あとは咳ばかり。体調悪いと明るいこと考えにくいし、なんもやる気にならん。
そういうことからも正岡子規は偉いなあと。(ちょっと例えが古すぎが)

冗談抜きで腹筋が鍛えられてきたみたいだ。咳するために必要な筋肉が
強くなったような気がする。

そういえば昨日病院で、身長、体重、肺のレントゲン、肺活量、と色々
検査してもらったが、肺の能力は同じ身長体重の人を基準として140%だということであった。
それならもっと強くてもよさそうなものなのに。ゴホゴホ。

月曜日, 3月 06, 2006

達成感が必要

たとえちっちゃなことでも。つくづくそう思う。そしてちっちゃなことでもできたら、
よくできた。よくやったと自分で自分をほめてあげるくらいのことしないと、
もうパワー落ちるばかりでんがな。

セキで病院

セキで病院行ったら、胸のレントゲン写真撮って、肺活量はかって、
薬もらって帰ってきた。またリン酸コデインもらって、飲んだらやっぱり
セキがぴたりととまった。市販の咳止めにも入っているけど、
お医者さんに処方してもらうと用量が違うということらしい。

このままセキとまってくれるとよいのに。

あんまりセキするとセキするたびに痛みが頭の中でスパークするのだ。

何でもいいから何かやること

週末に、イチゴ狩りとアウトレットめぐりに付き合いでいって、体調も悪いので、
家で寝ていたいとも思っていたのだが、実際行って、ぐっすりねて月曜の朝を
迎えると、快調です。セキはまだ続いているけど。

週末ただ家でごろごろしていると、月曜の朝こんなにすっきりはしないものです。

だから、多少億劫でも、なんでもいいから何かするほうがいいんだな。

ああなるべくいつもすっきり気分で過ごしたい。

土曜日, 3月 04, 2006

昨晩の水泳

昨晩、東京体育館プールで泳いだ。ここの50Mプールは真剣に泳いでいる人が多い。
残念ながら今の自分の体力、泳力ではすぐに息が上がってなかなか続かない。
片道50Mクロールで片道50M平泳ぎでという泳ぎでまず400M泳ぐともう
ペースが落ちてきて、後ろの人に悪いので、もっと遅い人向けのコースに移動して、
全部で1000Mくらいかな泳いできた。これじゃ水泳趣味といえるレベルじゃないなあ。

週に2回は泳がないと、気持ち良く長距離を泳ぐのは難しいなあ。

ともかく咳がひどくて、どうしようもなく、今日は一日寝てました。折角天気良い、休日だったのに。

冴えないなあ。咳ばかりしていたら、なんか腹筋が鍛えられてきたような気もするが。

金曜日, 3月 03, 2006

ゴルフを始めたころ

とある会社にいたとき先輩に、ゴルフクラブを頻繁に買い換える人がいました。
3ヶ月に一回フルセットを買い換えるというペースだったと(金持ちーー)。
彼はあまったクラブをセットで安く譲ってくれました。

そう そこからゴルフ練習場にトキドキいくようになったのです。
折角道具あるし、どんなもんだろうと。

ところが彼はプロ向けの非常にハードな(しかも非常に高価な)
クラブセットをくれたので、初心者の僕はまともにふることができません。

しかも、僕は運動神経もよくないので、もうやめようかと、
だって温厚なレッスンプロすら怒り出すほどひどかったからね。

でもこのままあきらめるのもあれなので、つるやの初心者むけのブランド
買ってきて、試してみたら、急に飛ぶようになって、面白くなってきた。

そして今は、75ヤード先のかごに、50発に一回くらいは入れられるようになり、
たまには280ヤードくらいは飛ぶこともあるようだ。
でもコースには年に2回くらいしかいないしスコアは120くらいか。

ヘッドスピードは平均48m/s
思いっきり振り回して 52m/s

これでたまに真芯に当たって球が青空に吸い込まれそうに飛んでいって
しばらく落ちてこないで、はるか先のネット(僕のいく練習場では250から
290ヤードあたりにネットがある)にあたると、なんともいえない気持ちよさがある。

なんでそれがそんなにうれしいのか自分でもようわからんです。

ただ無理に理由を考えれば、身体が合理的な良い動きをしたときしか飛ばないので
なんか達成感のようなものがあるのと、ともかく人より飛ぶのが楽しいのですね。

他に優越感あじわえるようなこともないし。トホホ。

練習場で色々な人たちにあって話をするのがまた楽しい。

70代でも飛距離を伸ばしている人もいて、
「すばらしいですね」と私がいうと
「イヤーもう、ろうそくが最後に燃えるときは明るく輝くみたいなもんで、頑張っちゃうよ人生残り少ないし」

とか明るく話してくれるのであった。

俺も死ぬまで飛距離を伸ばすのだ。そこに何の理屈もいらない。
ただただそれが面白いからでいいのだ。

そして僕より飛ばす人にあうと、嬉しくてしょうがない。
まあこれはドラゴンボールのゴクウみないな心境ですかね。

木曜日, 3月 02, 2006

薔薇亭


http://www2a.biglobe.ne.jp/~hmikami/tonkatu/rosetei.htm

ここの店が好きで今日はこれから行って、カキフライ定食を食べる。
マスターもママも味があってなあ。なんかもう20年近くもときどき
励ましてもらってるよなあ。カキフライは普通の人では3個までしかたべられないような
特大牡蠣、味も最高。僕は5個に朝鮮じゃなくて挑戦してきます。

時間14時間経過。

そして食べてきた。

これが薔薇亭 カキフライ定食 牡蠣5個 1300円だ。
3個は980円だったかな(初心者はこっちにしよう)。

横のコップと比べるとこれがただのサイズでないのがつたわるだろうか。
この写真人にみせたら、カキフライじゃなくてフライドチキンなのではといわれました。

マスターもママも60代、写真撮るついでに、僕の子供の写真みせたら、あんたにもう
こんな大きな子いるのと驚かれ、かわいいねえ、全然あんたにてないねえ。といわれ
明日はひな祭りだからと、子供のためにとお菓子までもらって帰ってきた。

きっと高円寺で一人暮らしして、ここに何回も通った人は何人もこの店に感謝してるし
もと高円寺に住んでいて懐かしがってる人もたくさんいるだろう。僕もその一人。

牡蠣フライは大きいだけでなくて味も最高でした。あとキャベツ千切りが大量でこれを
食べきるところにも、醍醐味があるのでした。

脱オタク宣言

表題に書いた、バイクとゴルフについては、私はオタクです。

なぜなら、実際のゴルフやゴルフ練習はいくらもしてないのに、
雑誌やインターネットのゴルフ記事それよりはるかに長時間読んでいるからです。

バイクも昔はそうでした。昔は月刊”オートバイ”と”モーターサイクリスト”が
電話帳のように厚かったのに、鬼のように読み込んでました。
一番読んだのは”ミスターバイク”か

それはそれでそれなりに楽しいのですが、オタクより実際にやったほうが
かっこいいよなあ。感動もあるよなあとわかっていながら、ダラダラ雑誌読んでいる
こりゃあかんわ。

もっと現実の行動をふやそう。全てについて。

エロ本読んでる時間も昔はながかったなあ。これもオタクか?
ああこれはただのスケベか。

咳止め薬はどんな夢をくれるのか

僕は、季節の変わり目とか、仕事のストレスが高まったときとか、
はっきりとした原因はわからないけど咳がとまらなくなる。

自分の精神的な弱さがもろにでているさえない話で恥ずかしいが。

それであんまりひどい咳が続くと、薬を飲むことになる。

以前、しつこい咳に苦しんで、いくつか病院をまわり、処方された薬でも
とまらなくて、最後に大きな病院にいって、お医者さんにみてもらったあと
そのお医者さんはこう言いました。

「最強の薬をだしますから、咳はとまります」

やったーこれで咳はとまるんだと、処方箋をもって薬局にいくと
まずアンケート用紙のようなものを渡され、住所、氏名、年齢、その他
細かく書かされて、不思議に思ったのだがともか薬は処方してもらった。

そしてその薬を飲むと、あれだけしつこかった咳はぴたりと止まった。

もう咳をしたい気持ちを思い出すことすらできないほどだった。

でも、なんか気分が多少悪くなり、眠ると変な夢をみる。

例えばこんな夢。

自分がゴルゴ13の主人公になっているのだが、敵につかまり、秘密の地下室で拷問されるとか。
トラと格闘するとか。

楽しい夢はなく嫌な汗かくような夢ばかり。

この薬は一体全体?

で調べてみると、りん酸コデインというもので、市販の咳止めにも入っているけど、それの
用量の多いものだったらしい。そしてこれはモルヒネよりもは効き目は弱いものの、
麻薬の一種らしい。

咳き止った以外、全然気持ち良くないんですけど。

でもこの薬飲んでいるときは頭がボーっとして、咳したい気持ちもおもいだせない。

仕事でイライラしているとこみ上げてくる咳したい気持ちが抑えられない。

やっぱり精神的なものが大きいんだろうか? ゴホンゴホン。

水曜日, 3月 01, 2006

今日の仕事の終わりに

ああ今日はいくらも仕事できなかった。明日はもっと真面目に頑張ろう。

バイクに初めて乗ったころ

大学生時代に、大学にバイクで通学している友人が二人いて、
大学構内の駐車場でちょっとだけ乗らせてもらった。

一人はスズキRG50E(だったと思う)で 何しろ初めてなので、
クラッチをつなぐときにアイドリングから回転をうまくあげられずにつないでしまい、
何回かエンストをしたあと漸くスルスルとノロノロと走りだした。

その瞬間の衝撃的な喜びを23年(くらいだったかな)たった今でもよく覚えている。
自分以外の力で動いてくれる自転車を手にいれたとでもいうのだろうか。

もう一人の友人はこれまたスズキの50ccのハスラーにのっていた(型式は知らん)。
彼が言うにはこのバイクはパワーがないからどうやってもウィリー(前輪上げた片輪走行ですね)
できないとのことなのだった。

「じゃあ俺が試していい?」
「ああ絶対できないから試していいよ」

早速試させてもらった。エンジンをレッドゾーンギリギリまで回して、いきなりクラッチをつないだ。

突然僕の視界には、青空がのどかに広がっていた。僕は怪我しなかったが、
ハスラーは故障してしまった。

瞬間的にバイクと一緒に後ろ半回転をしてしまったらしい。

自分 「あのー、ウィリーするんじゃないか?」

友人 「...。 修理代払えよ」

自分 「わかった。ごめんな」

そんなところから自分のバイク経験は始まった。
こんなに良く覚えているのは、それだけ面白い出来事だったからだ。

あのふるえるような感じを昨日のこととように思い出せるのだから。

火曜日, 2月 28, 2006

Blogを初めて始める

思えば子供の時から、自発性も行動力も足りなかった。それでもインターネットの視聴者だけでいることに飽きてきたので、Blogを開始します。

タイトルは僕の好きな趣味を羅列しただけ。(見切り発車バレバレ)

バイクは大学生のときから乗り始め、北海道にも9回(くらいかな?)いきました。

ゴルフは趣味といえるほどコースにはでてないのですが、練習場でドライバーを振り回して馬鹿あたりするとそれが気持ちよく楽しい(文字にするとそれだけですが、あの球が空に飛んでいく感じは気分良し)

水泳は20代後半にマスターズにでて、今は身体なまっているものの今でも一番好きな趣味。

音楽、好きですね。雑食ですが。

以上、さてこれがどう表示されているのか楽しみ。