木曜日, 6月 28, 2007

韓国の社長と話してわかったこと

元々は本社の社長であったわけだが、彼が完全に
日本でのビジネスに関心を失っていることが良くわかった。
そんなわけで、僕はまた次の一手をどうすればよいのか
また考えこんでしまった。もうあきらめたほうがよいのかもしれんが。
いい加減。

午前中にあった、韓国人へのソフトウェアと日本語の教育ビジネスを
している社長とは契約書の件ですでにメールを4通もやりとりした。
こういう状況に陥っているのは、もてなくて、新しい恋人がみつからないと
思い込んだ人間が、過去の恋人に空しく執着してしまうような
ものかもしれない。

そうであれば、一番の特効薬は新しい夢のもてる魅力的な
ビジネスを見出すことに間違いないのだが、これが見つからないままで
人生終わっちまいそうでんがな。 トホホ。

韓国のある会社の会議室で

今日の午前中は韓国の教育ビジネスをしている会社の社長さんとあった。
なんで俺に会いたがってくれているのか不思議だったのだが、あってわかった。

韓国では若者の失業問題が深刻だそうで、日本語とソフトウェアの勉強を
一日8時間10ヶ月(合計1800時間)指定機関でうけることと、それを
終了したら日本で受け入れてくれる会社との契約書があれば、韓国政府が
そのための教育費をだしてくれるそうで、そのための日本側会社の契約者として、
僕の会社に契約当事者になってほしかったのある。

義務はないそうなので、雨の中、自動車に乗っけてもらったり、プレゼント
もらったりして、もう断れないし、契約書を作成することとする。
これで損することもなさそうなので。

昼飯を、韓国人2人と私でとった。共通言語がなく、非常にたどたどしくしか
意思疎通ができない。

午後になって、2年半ぶりに、今まで何回もあっているけど、
ここのところご無沙汰していた 韓国の社長にあって、話をする。
俺の英語も彼の英語もひどいものだが、かなり通じてしまう。
韓国語と日本語の語順が近いから、イギリス人がきいてもわからないような
英語でお互い通じて しまうということらしい。でもヒドイ英語だから、
雑にしか通じない。彼の英語は僕よりヒドイようで
6時からは通訳にきてもらって話を再会することとする。

2年半前、彼とのビジネスをあきらめてから、彼はどうなっているか
と思っていたが、 かなり元気にやっていることが良くわかった。(おれと大違い)

どうも、彼は十分にはハッキリと話さないが、安く買った会社を
(当時ビジネスモデル変えないと会社死ぬと僕が強くいっていたら今度
こういう会社かってビジネスかえるとメールがきたのがこないだのことみたいだ)
たった一年で高く売れたときに その金をつかって自分の会社の他の株主から
安く株を買い戻し、さらに残った金で、ソウルでこれから値上がりしそうな
地域(ここのこと)のビルの何フロアかを購入し、そこに会社を入居させることで、
会社を低コストでオペレーションできるようになったらしい。

ソフトウェアから不動産ビジネスに変えたんだね、
日本に興味なくなるはずだね。
俺はもう日本の会社閉じちゃおうかといったら、
それなら株もどせというから、いくらだときくとノーアイデアだという。

でも、俺からもどさせてから、他の韓国の会社に売るんだとかいっているから、
ああおれから、タダ同然でもどさせて、なるべく高く売るように頑張り
たいんだなということが、当然予測されるわけである。

色々はなして、6時から通訳もいれてさらに話すことになるけど、やっぱり解決策はなさそうだ。

でもどんな話になっても、良いビジネスを見出すためと割り切って話を
すすめることが大切だ。

そもそも彼も悪い人じゃないと今も思っているけど、彼ももう10年近く会社を
維持するために、 ドライにやってきて、前よりビジネスライクな人になってきたし、
そうならざるを得なかったということなんだろう。

むしろ、十分ビジネスライクになれずに、身体壊したり、している俺が馬鹿なのだ。

彼も僕にうまく交渉しているつもりなのだろうけど、また実際に非常に交渉の
うまい人ではあるけど、 日本の会社閉じてもいいよね、とぼくがいうと、
内心あわてているようにみえた。

僕のほうが交渉能力は下手だけど、もう捨て身だからな。

でもこれは勝ち負けじゃなくて、次にできることを見つけるためにあるのだ。
6時からどうなることやら。

火曜日, 6月 26, 2007

明日から2年半ぶりの韓国

韓国の人達とは今まで、あまりにも色々なことがあった。

2年半前の出張で、韓国とのビジネスをもうあきらめて、
もうソウルにくることもないかなと思いながら、最後のの夜だからと、
ホテルのコンシェルジェできいた宮廷料理店で一人で豪華な食事をした。

韓国の(というか朝鮮のというべきなんだろうか)伝統音楽と、踊りが
なぜか懐かしいような気持ちにさせてくれて、それまでの韓国の会社との
様々なやりとりと、その終わりを追想した。

宮廷料理はおいしく、色々な料理が、小さな皿で何種類もでてきた。

紆余曲折へて、もう一度あきらめずに、韓国の会社と話してみることにした。
そんなわけであわててチケットを買い明日から久しぶりにソウルにいってくる。

この6年と4ヶ月間、韓国の人と仕事で会うことで、楽しいこと、感動したことと
失望したことが、同じ日本人と仕事してきたより強い印象をもって、残っている。

次にチャンスが開かれるのかはわからないけど。何もしないよりもよいだろう。

どんな旅になるかわからないけど、自分のきちんとしたビジネスをしたいという
意志はきちんとしめして次のチャンスを見出せるよう頑張ってみよう。

吉野家の牛丼とほっそりした美人

ときどき、月一くらいかな? 無性に牛丼を食べたくなる。

それも吉野家がいい。今日はそんな日で、吉野家にいって、
特盛を注文して食べていると、隣のに人がきて、並盛を
注文した、何気なくみると、ほっそりした、松本零士の漫画で
でてくる、女性みたいな人だった。

それだけのことなんだけど、こういう人も一人で牛丼食べにくるんだ
というところが非常に印象的であった。

じろじろ見るわけにも行かないので帰りがけにチラッと見ると、
七味唐辛子をたくさんかけていた。背中もほっそりしていて、
それで牛丼もりもり食べる姿が、妙にカッコいいというか好ましかった。

やれることやって動き続けて、結果を見ればいい(人事を尽くして天命を待つ)

昨晩、10時くらいから、自宅で、頻繁にテレビのチャンネルを変えながら
同時に3つくらいの番組をみた。

2つは笑える番組で、1つはNHKの30代の鬱が増えているとかいう番組だった。

それで、2つの番組で、笑わせてもらいながら、鬱状態で職場に出れなくなった
人の家庭での取材とかをみていた。

他人事だと、深刻な内容でも、所詮他人事なので、冷静にみてしまう。

鬱で職場にいけず、奥さんが内職して家計を助けて、旦那さんの
健康保険組合からでる傷病給付金と、それだけなので、ローンと生活費だけにも
たりず、貯金を切崩す日々だとか説明している。

鬱病でそういう状態になったわけだが、そういう状態のほうが、余程、落ち込みそうだ。

また番組を切り替えて、女性タレント達が明るくケラケラやっている番組をみる。

ああでも、他人事だと、良くわかるけど、難しい自体だろうがなんだろうが、自分に
できることをそれなりに手を尽くしてやったら、それでも結果が悪かろうがなんだろうが、
もう自分を責めたりしないことが大切だ。

無駄に悩んで時間を使ってよいことは、ほとんどないだろう。良いこと思い浮かばないなあ。
まあ悩む人の気持ちを理解できるようになるくらいかな。

だから、自分のことすら、ちょっと客観的に、やれることやって、気が進まなくても、客観的に
やったほうが良さそうなことはやって、あとは、なるようになれーーーーと
他人事のようにやったほうが、むしろ自分のためになるんじゃないかと思ったのでした。

自分を大切に考えすぎると、それは自分にむしろよくないんじゃないかと思う。

所詮限られた、時間を生きている存在にすぎないから。

月曜日, 6月 25, 2007

雨の日の7並べと神経衰弱

24日は雨で、ずっと家にいた。
これがボンヤリうとうとしていると、ラクなようでラクでない。

怠け者のくせに、怠けていると気分悪くなる。

しょうがないから、朝から、ブックオフから昨晩、スポーツクラブ帰りに
買ってきたばかりの 「血と骨」のDVDをみる。

小説をかなり忠実に再現しているのだけど、小説の方がよかった。
主人公ビートたけしのコメントで

「まあとんでもないヒドイ主人公だけど、自分で意識してやっているわけでなくて
そういう人間に生まれちゃって自分でもどうしようもないんだからしょうがない」

というのが、彼の理解の深さを表現しているようだった。

娘達がトランプで遊ぼうと うるさいので、七並べと神経衰弱をやった。
七並べは何回やっても手加減しない自分が買ってしまうが、最後だけ
上の娘がかった。

神経衰弱は、いくつか覚えるとしたの娘が気分が高揚して踊りだし、
それでみんな数字がどこにあるか忘れてしまうという流れだった。

娘達のおかげで気がまぎれた。

井の中の蛙ですらない自分の水泳

近所のスポーツクラブに入会して、ときどきいってみて、
しばしば非常に泳ぐのが速い人がいて、刺激をうける。

そういう人がいると話をしてみるのだけど、自分より速く
泳げる人は例外なく、僕より練習しているし、水泳に対して熱い。

そこで、さあ俺ももっと頑張るぞといきたいところだが、なかなか単純にはいかない。

やっぱり、僕は自分の身体と相談しならが、自分の身体の声を聴きながら
自分にあったペースでやっていくしかない。

土曜の夜に初めて、そのスポーツクラブにいってみたら、
「ザリガニの会」という集まりの人たちが、8時から練習をしていた。

メニューがびっしり組まれていて、1時間半の猛練習、僕は参加しないでおいた。

それでも僕も水泳は本当に好きなんだ。自分なりに納得できる水泳をしていこう。

木曜日, 6月 21, 2007

仕事と家族のバランス

最近、まえより家族のありがたみを感じるようになった。

ありがたみを感じると素直に感謝できるから、自分の目からみると
家族関係がまえより良いようにみえる。

自分はそんなにはお調子者とは思わないのでけど、
仕事なんかちょっとうまくいっているときは、なんか自分が
少しは偉くなったようなきがして、仕事がなにより大切だとか思って
家庭の比重が軽くなってしまっていたことがある。

逆にいうと今仕事が冴えないから、家庭に擦り寄っているだけなのかもしれん。

別件
都内にあちこちで見かける ”富士そば”で食事していたら、
演歌がかかっていて、富士そばの社長はたしかCDも出しているから
その歌なのかもしれないが、歌詞も雰囲気も強烈な歌だった。

「今日まで何とか生きてきた。今日まで何とか生きてきた。今日まで何とか生きてきた
俺の男の意地をだしてやれ」

そんな歌詞を、哀切と情念のこもったような声で じっくり、繰り返し歌い続けているのである。

”富士そば”は確かとても経営状態のよい会社だときいたことあるので、
何とかどころか大成功している人がこの歌詞をこれだけ心をこめて
歌っていたら、ハングリー精神をどこまでももっているということなのだろうか?

凄い歌だった。でもCD買わんけどね。

水曜日, 6月 20, 2007

深夜水泳と白い水着のネーちゃん

昨晩はダラダラと自宅のような会社にいたので、
スポーツクラブについたのが夜中の12時だった、
泳ぎ始めたのが12時10分でそれから30分間ただ泳いだ。

その時間でも各コースに一人ずつ人がいて、どこに入るか
迷ったけど、1番、ぶつからなそうな白い水着の女性のコースに
入った。折角一人で気持ちよく泳いでいるのに悪いから、一応
挨拶して、すみませんねといって、そしたら、軽く会釈してどうぞと
いう感じで、良い笑顔で、僕はなんかちょっと恥ずかしくなって、
おかげで途中で休めなくなって、30分泳ぎきった。
その間にその人は帰った。やっぱり迷惑だったな。悪いことをした。

なんだか、随分スタイルのよい人だった。インストラクターかなんかなのだろうか。

インターバルトレーニングはやらなかった。泳いだあとの気持ち良さや、疲労度、
健康を考えると僕はインターバルやらずにただ長距離泳いだほうがよさそうだ。
もういいや試合は遅くても。健康第一だし。

5分くらいユックリおよいでいると、急にラクになって、15分くらいで
泳ぎをとめたくなるけど、なんとか30分続ける。30分泳ぐコツは
決して途中でペースを上げすぎないことだと知る。

珍しいことに、後半で左側呼吸のほうが腕がラクだった。
いつもの右側呼吸だと右腕が重くなって泳ぎが乱れてきた。

左側のほうが下手でなれてない分丁寧にやろうとするのがよいらしい。

家に帰って、遅い夕食(深夜食)を食べて、寝たのは2時になってしまったが、
それでも、水泳のおかげで朝がさわやかだった。

日曜日, 6月 17, 2007

金曜の深夜の水泳と土曜昼からのバイク

金曜の夜の予定がドタキャンとなり、また数日泳いでいなかったので、
夜9時にスポーツクラブに行き泳いだ。

ユックリのダラダラ泳ぎをまたしようと思っていたが、途中から同じコースに入ってきて泳ぎ
始めた人がいて、ついついその人よりいくらか速いペースで泳いでしまい、20分くらい
泳いだところで息が上がってしまった。

その後また、50mを1分サークルで10本これまたダラダラと45秒くらいのペースでやる。

そのくらいで丁度よいつもりが、土曜日にもかなり疲れていたので、今の僕はあんまり
強く泳いではいけないのかもしれない。

脈が120くらいを超えると不規則になってしまうことが多いし。

自分の体調のせいか、仕事が相変わらず冴えない状況のせいか(こっちの方が
頭に締める割合は大きい)、相変わらず気分も冴えない状態が続いている。

土曜は学校公開日とかで、子供達の授業参観をしてきた。
2人の娘達は普通に静かに授業を受けていた。

土曜(昨日は)とても天気が良くて、雲一つなく、しかも6月16日で日差しが強く
ひょっとすると、一年で1番降り注ぐ光の量が多い一日だったかもしれない。

12時くらいに家に戻ってきても、動きたくもないけど、じっとしているとさらに
冴えない気分になりそうで、Tシャツ一枚で、バイクでまた山に行った。
そのカッコでバイクに乗っても、熱い空気の溜まっているところは熱く、
山の中の、木陰に涼しい空気が溜まっているところを走ると、火照った
身体を冷ましてくれて気持ちよかった。

特に木陰の中に木漏れ日が点々とさしている山の中の道を走ると気持ちよかった。

山に登り、下りをエンジンを切って、自転車のように下ってくるとそれが良かったので、
別ルートで再度昇り、またエンジンを切っておりた。

道の途中で、もう随分前から気になっている民家のようなうどん屋があり、
丁度腹もすいてきたのでよってみた。
手作りのうどん、山菜、味噌田楽、饅頭(なんと麹から作っているとのこと)を食べた。
饅頭が特別おいしく、他はまあまあということろ。14年前からやっているそうで、僕は
このルートを20年前から走っていて、それで昨日初めて寄った。

夜は家族で、中華料理屋にいった。

そのあと、子供達と風呂は行って、エンタの神様みて、また子供達と一緒に寝て。

こんな生活している自分が、悩んで、苦しんで、暗い気分で、どうしようかと思っていると
他人に相談したところで、贅沢な悩みとしかいわれないのはしょうがないのだろう。

去年の入院中は、痛みに動物のように耐えているしかなかったので、意外と
精神的にはラクだった。なるようにしかならないし、僕にはそれしかできないし。
肉体的苦痛は実は精神的苦痛よりつらかったりもするけど。

それが、今の状態になってみると、今の生活、仕事の状態でよいわけがない、
自分はなんて、怠け者なんだろう、なんで気力がでてこないんだろう、
一体、何回失敗を繰り返しているんだろう、これからどうすればよいんだろうと
いう思いが繰り返されてしまう。

ただ不思議と良く眠れて、朝6時に気持ちよく目覚めることができたので、
今日は自宅の自分の机に朝から向かって、今の状態とこれまでのことを
書き出して整理して、今後の方針も書き出してみようとしている。
(その合間にこれを書いているから、集中できてないけど)

僕にできることはまず、今日をよい日にできるようにすることだけだ。

金曜日, 6月 15, 2007

鉄板居酒屋でビールをたくさん飲み、たくさん話をする

昨晩、前から気になっていた鉄板居酒屋なるものに初めていった。

仕事一緒にやっているオーストラリア人の彼と2人で。

2時間食べ放題で飲み放題のコースで、そのあとも2時間ビールを飲み、
計4時間も飲みながら、話続けた。良く自分の下手な英語で話続けられるもんである。

彼も最近すこし日本語をしゃべるようになったけど。

2人とも仕事行き詰っていて、本社も良いアイデアないみたいで、
普段、なかなか話しようがなくなっていたけど、公私にわたり
色々率直に話せて、ビールも大量に飲んだけど悪酔いせず気持ちよく飲めて、
すっかり、気持ちがラクになって楽しい気分になれた。

こういう時間を持つことが本当に大切だとまた思った。

木曜日, 6月 14, 2007

杞憂という言葉の意味を今頃少し知る。

天が崩れてくることを心配している人がいて、
おこりもしないことを心配して苦労してもしょうがないじゃないか。

という話かとおもっていたら、そんなに単純でない解釈もあることがわかった。

 「天地が壊れないと言う者もまちがっている。  壊れるとか壊れないとかは、  われわれの知ることができないところのものなのだ。  そうはいっても、  壊れると言う者にも一つの道理があり、  壊れないと言う者にも一つの道理がある。  それだから、生は死を知らないし、  死は生を知らない。  将来は過去を知らないし、  過去は将来を知らないのである。  天地が壊れるとか壊れないとかいうことを、  われわれがどうして心に容れて考慮しようか」

こっちの解釈のほうがより考えが深い。

心配の種とすべきは、自分でコントロールできるもののみにとどめること。

心配してもその結果を自分には変え得ないものにはそれを受け止めるのみにすること。

ということなんだろう。

これが仕事だと、何が何でもこれを何とかしよう、きっと方法があるはずだとか
やってしまうから、精神を消耗することがあるのだろうけど、
それも見極めが大切ですね。

水曜日, 6月 13, 2007

病気でも明るいビルの管理人さん

会社の入っているビルの管理人さんが、明るくて、協力的で、サービス精神あって、
良い方で、話すと僕も楽しくなる方なのだが、今週は見かけてない。

気になって、管理人室をのぞいてみると違う人がいる。

管理人さんのこと聞いてみると、入院してかなり具合よくなさそうですとのこと。

管理人さんとの会話の中でも、もう何回も入院したとか、最近はお腹に水がたまって
という話をきいていたので、かなりよくないのは僕も知っていたのだけど、
明るい話し方、顔色はあまり悪くないこと、からまだ大丈夫だろうと
勝手に思っていた。

一度仕事で休日にでてきて、会社の近所のスーパーによると管理人さんが
いて、ここ安いから休日も果物かいに来ちゃうんだよとかいってた。

調子悪いからBMWのバイクを売って、今はスクーター乗っていてそれできたとか言っていた。

電源のことから、何から頼むとすぐ動いてくれた。

医療機器(MRIとかCT)の営業で世界中飛び回っていた話もきいた。

腹に水が溜まるほどの状態で管理人さんはなんであんなに明るく振舞えたのだろう。
元気になってほしい。

ひるがえって、自分が対して深刻でもない状況をあれこれ悩んで暗くなっていることが
とても恥ずかしく、情けなく感じた。

苦しい状況を明るく過ごせる人は素晴らしいが、
大して深刻でもない状況で勝手に暗くなっているなんて、かっこ悪いの極地だ。

明るい太陽の光と、管理人さんのことを思い出すことで、僕もすこし元気になってきた。

火曜日, 6月 12, 2007

長期的な考えと今日だけのこととをわけること

また水泳にも助けられている

昨日は水着忘れたので、一度家に帰ってから、いかないでという娘達を引き離して
自転車で、スイミングクラブに向かった。

スタミナないので、ダラダラ泳ぎ(ユックリと長距離を泳ぐ)をしたほうがよいと
コーチに言われていたのを思い出し、丁度10時から10時半にかけての30分間
ユックリとおよいだ。途中腹が減って力は入らないほかは、ラクに流して泳げた。

泳ぎ終わってすぐに脈を計ると120くらいで丁度良い感じ。

でも、一ヶ月後に出場するのは50mと100mなので、これだけじゃまずいと
50mのインターバル 一分サークルで10回やった。
平均して43秒くらいのはいりでこれまたユックリなのだけど、
今の自分にはかなり精一杯。

4本目、あたりでくじけそうになるが5本目終わると、もう半分はやったと
最後までやるきになる。

その程度の練習でもやってみると、結構、必死なので、今のという時間に集中できて
それによって、気持ちが燃えてくる。だからいつも、今の瞬間に集中して、
余計なこと考えずにやることが、大切なのに。

泳ぐと、心も身体も気持ちよく、その感じは翌日の今も続いている。
ただ、色々なことがもう七面倒くさくて、もう何もかも投げ出して
バイクで旅にでもでたいような気分も持続している。

今朝は2ヶ月ぶりくらいで、慶応病院にいって採血だけしてもらってきた。
あんな大変だった入院生活が懐かしく思い出されるのだから不思議なものだ。

月曜日, 6月 11, 2007

落ち込み続ける

表向きは結構普通にやっているが、気分が落ち込んでしょうがない。
何やるのも億劫だ。でも何もしないで寝ていると、余計に落ち込む。

俺はしょうがねえオヤジだなあと考えると余計に落ち込むので、
考えないようにしようとしても、頭は何か考えてしまう。

しょうがないから、土曜の夜はワインを一本あけて酔っ払って
ごまかしたけど、酒に強くないので翌日はかったるい。

昨日は子供達がどこも出かけないでつまらないからどっかつれってって
というので、実家に連れて行こうとしたら、また自転車で行きたいという。

下の子供も頑張って走りつづけ20分くらいで実家につく。

いくらか気分転換になる。

雨の週末をたくさん眠り続け、惰眠の中で、わけのわからない夢を
見続けていた。

先週は、3人の人が僕の相談にのってくれたが、結局、今の僕の状態というのは
贅沢な悩みでかつ自業自得のようなものだから、客観的な意見を求めても
難しいらしいということがわかった。

43歳というのは65歳くらいまで勤めるとすると、大学でてからまだ半分なのだけど、
まるっきりこれからの道を見出せず、見出せない自分が情けなく、
頭は混乱するばかり。

それでもしぶとく生き抜くのが自分なわけだが。

世の中の役に立つことで自分もそれをやることを楽しいということをやって、
充実感、充足感をもって日々を送れるようにしたいのだが、
そういうものがみいだせない。

しょうがないから、今日も目の前のできることをちょっとづつやって
自分をごまかしながら生きていくのであった。

折角生きているのになあ、俺は何を間違っているのだろう。

木曜日, 6月 07, 2007

水泳の速い人に会うと話しかけずにいられない

ああもう ジャパンマスターズ近いのに、練習があまりできてない。
プールに行かなくちゃといっても、まずジャクジーにつかり、ぼんやりとプールをみている、怠け者の俺。

さっき更衣室ですれ違った人が、恐るべき、いかにも水泳速そうな肉体をしており、その人が気になってみていると、ストロークは長く、スピードも早く、一見して、凄いスイマーだとわかった。

それが200mくらいしか泳がないで、ジャグジーにくるので、僕から話しかけた。
謙遜していたけど、よくよくきいてみると、実業団で2位だったそうで、それは速いは。

平泳ぎが専門なのに、50m自由型も26秒くらいで、100mは一分で、歳は僕より2歳若い
41歳だとのこと。しかもこれが1番驚いたのだけど、水泳の現役選手時代はないらしい。

こんな人もいるんだなあ。そこから、泳ごうとジャグジーをでると、その人が

「泳ぎ拝見させてもらいます」

というので、気を失いそうなくらい無理して泳いでしまった。横のコースをいつも練習で
ついていけない とても長距離の速い女性が泳いでいたのを、追い抜いて、
また追いついて追い越して、泳ぎ終わった後も、息がきれて、なかなか戻らなかった。
その人は帰っていた。

見えはってもしょうがないといつも思っているのに、ああいう人のまえでは、無理してしまった。

また家族に助けられている

昨晩は9時ちょっと前に自宅についた。平日はあまり9時前に帰ることがない。
子供達は9時に眠ってしまうので、起きてる顔はみれないことが多い。

ポストをみてちょっとガチャっと音がして、玄関の鍵を開けると、その音を
きいただけで、2人の娘が我先にとどたばた玄関にやってきて、

「パパが帰ってきた」

と喜んでいる。昨晩はもう昔のように飛び跳ねてまでは喜んでくれなかったけど、それでも嬉しい。
僕はその嬉しさを表現できないんだけど嬉しい。

俺みたいなのが帰るだけでこんなに喜んでくれる子供がいるというのは、励まされるような感じだ。

いつも、何とかしなければいけないことにばかり注意がいってしまうから、僕を取り巻く環境は
まるで、全てが、問題だらけで、それしかなくて、失敗ばかりで、そんな思いにつぶれそうに
なることが多い。(でもつぶれないんだけどね)。でもこうやって、僕には嬉しいこともあるんだと
いつでも思い出せるように覚えておこうとおもう。

途中で買ってきたビール500ccを飲んで娘達とベッドで話をする。
随分色々な話をした。上の娘は小学校5年生だけど、もうクラスでは
誰が誰を好きでなんて話で盛り上がっているんだそうだ。

それで上の娘はもう男の子から告白されることを数回経験しているらしい。

それでどうするのと聴くと

「ちょっと無理」 って答えるのとかいっている。

家族でホームレスする話とか、色々。

子供には子供の世界があり、それはほとんどの大人より生き生きしているようだ。

下の娘は、ひとしきり僕に文句をいったりぶったりしたあと、最後にはすぐ横にきて眠りだした。

月曜日, 6月 04, 2007

力を抜くこと、バイクと水泳とゴルフで

日曜の朝、トイレに起きて時計をみたら6時半だった。

前日、山梨県に自動車ででかけてせいもあって、まだ寝たいような
気もしてが、5秒ほど考えて、ゴルフ場の早朝練習にいくことにした。

2週間ぶりかな。練習してないぶん、球の方向は定まらず、それでも
短いものなら、振り回せば番手なりの距離はでたけど、ドライバーはだめ。

それで、あきらめかけて、もう飛ばなくていいから、力抜いてそっとやってみようと
振ってみたら、いきなり一番奥のネットに届いた。

なんとも不思議である。力をいれないと重いものは持ち上がらないけど、
ゴルフで飛距離をだすのは全く違うものらしい。

バイクでもそう。コーナーでスムースに曲がるには力を抜いて、ハンドルに余計な
力を加えずに、バイクが曲がりたいようにすすめていくときが一番、自然に滑らかに曲がれる。

水泳もそう。できるだけ余計なところに力をいれずに、推進力になるためにだけエネルギーを
消費して、身体は力まずにできるだけ流線型に近いポジションをとるほうがよい。

こういうことって色々おおいんだろうな。なんで不必要なところに力をいれて無駄に疲れてしまうんだろ。

色々なことで、そう思う。仕事でも。

金曜日, 6月 01, 2007

新しいオフィスに初めて泊った

昨晩は家に帰らず、新しいオフィスに初めてとまった。

カーペットの上に直接寝たので、やっぱり硬くて、眠りが少し浅かった。

それでも、オフィスというより、都心の別宅みたいな雰囲気の部屋だから居心地はとても良い。

会社に泊れば、何か良いことあるわけでもないのだけど、これは願懸けというか
お祈りみたいな気分になる。

会社に泊って仕事のこと考えると、何か良い方法思いつくとか良いことあるんじゃないかという。

でも何も思い浮かばない。もう俺の脳味噌は腐っているのかもしれない。
なんてこと考えてもよいことないから、深刻になりそうなときは
おちゃらけて自分をごまかしてでもなんとかやっていくのであった。