天が崩れてくることを心配している人がいて、
おこりもしないことを心配して苦労してもしょうがないじゃないか。
という話かとおもっていたら、そんなに単純でない解釈もあることがわかった。
「天地が壊れないと言う者もまちがっている。 壊れるとか壊れないとかは、 われわれの知ることができないところのものなのだ。 そうはいっても、 壊れると言う者にも一つの道理があり、 壊れないと言う者にも一つの道理がある。 それだから、生は死を知らないし、 死は生を知らない。 将来は過去を知らないし、 過去は将来を知らないのである。 天地が壊れるとか壊れないとかいうことを、 われわれがどうして心に容れて考慮しようか」
こっちの解釈のほうがより考えが深い。
心配の種とすべきは、自分でコントロールできるもののみにとどめること。
心配してもその結果を自分には変え得ないものにはそれを受け止めるのみにすること。
ということなんだろう。
これが仕事だと、何が何でもこれを何とかしよう、きっと方法があるはずだとか
やってしまうから、精神を消耗することがあるのだろうけど、
それも見極めが大切ですね。
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