木曜日, 9月 21, 2006

敗血症でまた入院していた

9月5日に手術から退院したのだけど、7日から急に熱があがり
8日から緊急入院して、本日21日退院できた。

敗血症のかなり重いものだったそうで、後から、病院の多くの方
(お医者さん達や、看護師さん達)に自分が死ぬところだったと
言われてぞっとした。

8日の夜は40度以上の熱が6時間も続いたり、血圧が60になったり
どっかの内臓が止まったり、3時間ごとに動脈から採血されたり、
酸素吸入やらなにやら、騒々しかったのに、自分が死ぬかもとは
考えもしなかった。後からきいて、そうかあれが死にそうという
ことなのかとわかった。(俺も間抜けだな)

9日は熱は下がったものの、全身が痛く、特に腰が痛く
じっとしていられない、起き上がることもできず、身体には
多くのチューブがついている。しょうがないから寝返りを
何回もうつのだけど、寝返りうつだけでも激痛で、どうしても
「いたたたたた」と声をだしてしまう。

何でこんなに苦しくつらくても、自分の身体も心も生きようと
しているのか不思議にすら感じられた。

不思議とまた自分が9歳のときに死んだ父のことばかり思い出し、
自分の上の娘が今9歳のことを思い出し、自分が父を9歳で
失ったときの気持ちを自分の子供に味合わせてはいけないと
感じて僕は生きようとしているのかと、自分の無意識の領域の
部分が感じられた。 無理な理由付けかもしれないけど、
そう考え、そう感じると、涙が音も声もなく真上を向いている
自分の目尻を伝って流れ続けた。恥ずかしいので
白い手ぬぐいを顔にかけていたけど、ちょっと縁起悪かった
かもしれない。

さてそれからは急速に回復したのだけど、状況が状況だったので
お医者さんも用心して僕を2週間入院させておいたくれたようだった。

そして僕は、これだけの経験をしながら、何の後遺症もなく
また日常にもどっていくのだろう。

ただ、頭にあの一番苦しかったときの震える現象の恐怖が残っている。
それに頭のぼんやりした感じも消えない。きっと脳細胞もたくさん死んだんだろ。

入院中はまたたくさんの方と話をした。入院患者、医者、看護師、
僕は自分が社交的な人間でもないくせに、多くの初対面の人と
たくさんの話をした。昨晩は囲碁のルールを教えてもらった。

今回は見舞いにも何人もきてくれた。 不思議なことに
すっかりご無沙汰している人が急に自宅に連絡くれて
僕の状態を知って急に見舞いにきてくれたりもした。

ただ、こうなってみると、自分が、家族や近い親族にどれだけ
世話になっているか、よくわかった。

自分はいつも色々なことに巻き込まれながら、何かに生かされている。
まるで、何かが僕にもっと好きな生き方をしろと教訓を与えようとしている
かのように。

爪先やら足の裏の皮が剥けて下からまだ薄いピンク色の皮がでてきた。
お医者さんにきくと、「死にかけたんだから、そのくらいのことはあるだろ」
とのこと。看護師さんは「これで一皮剥けるじゃないですか」

ああ自分が脱皮するくらいの変化を作り出したい。

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