一々、冴えないこと書き出してもしょうがないので、
あるが、
先日、20年以上も前のバイク仲間から連絡があったことを書いた。
彼が、バイクの事故で、意識を失い死線をさまよったこと、
機械を身体に入れた、サイボーグ状態の身体障害者になったこと、
それでも、僕と初めてあった宿で僕と再会したがってくれていること。
彼はもう、バイクに乗れないから自動車で来るしかないけど、
僕には絶対にバイクで来いといってくれたこと。
何故、彼はそんなに、僕のことを良く覚えてくれているのだろうと
思ったけど、僕も彼のことをよく覚えている。
綺麗な景色を一緒にバイクで走った奴のことは、
これだけ記憶力の悪い自分でも、彼に限らず、良く覚えている。
人は死ぬときに、生きていたときの記憶が走馬灯のように
頭をめぐるというが、僕はバイクに乗っていたときの記憶も
きっと頭をめぐるとおもう。
彼のように、連絡をくれる奴はありがたい。
ときどき、あのとき会った人は、(もう一生会うことはないのだろうけど)
どうなったのだろうと、切なく思うことがある。
バイクを一生楽しむのは、色々な意味で簡単ではないのだと思う。
1.バイクを楽しめる 感性を維持すること
2.バイクを楽しめる、生活の余裕を維持すること
3.バイクを楽しめる 健康を維持すること
4.バイクを楽しめる 周囲の理解をえること
でも、青い空と濃い緑の中をバイクで、走った記憶は他の何者にもかえがたい。
水泳のことはまた書くこととする。
僕は、色々冴えないことがあって、バイクに乗り続けるのが難しくなるかもしれない。
でも、絶対にのり続けたい。
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