木曜日, 12月 04, 2008

文章と感情と本音 外国の人との食事

2006年に体調崩してから、自分のことを日記でブログに残して
おきたいと思い、このブログを書き始めた。

特にここ数ヶ月はほぼ毎日書いてきた。

多少無理にでも何か書いてきた。

大げさに言えばそれが何だか自分の生きている証のような
気すらしていたのかもしれない(自分の気持ちなのに曖昧な書き方)。

今はありがたいことに十分健康になれたが、(それこそ一番喜んでおくべきことなのに)
それでも何かを書いておきたかった。

今年は、本当に冴えないことが、これでもかと続く一年だった。

特に9月以降、あまりに冴えないことが連続して起き続けて
きたけど、それでも無理矢理このブログを書いてきた。

感情的に落ち込みがちで、とても疲労感を覚えていると
こんなに書くのが好きな僕でも、 文章を書くのは
難しくなるんだなあと実感をもってわかった。

昨晩、日本にいる外国人の方々と
ひょんなことから食事(彼らの食事に急に参加させてもらった)
する機会があった。

何人かは何年も前の僕を知っている人だ。

彼らの苦労話をきくと僕なんかより遥かに苦労している。
というより、僕の苦労は苦労のうちに全く入らない。

日本で大変な思いして働いて、しかも今は円が高いからと
自分の母国の家族に送金してあげて、実際に日本で彼らが
生活していく金に困っている。

それでも、彼らは、明るくたくましく生きている。

彼らの中で僕が今よりもハツラツとしていた頃を知っている人は
しきりに僕を励まそうとしてくれた。

彼ら自身が大変なおもいをしている分、他人の心の痛みに敏感らしい。

自分より余程苦労している人たちに励まされながらも、
僕は彼らをそれほど気遣ってやれるほどの配慮ができる
精神的余裕もなかった。

自分の度量の狭さと彼らの心の温かさを同時に感じた夜だった。

自分の心の痛みばかり大げさに感じてしまう自分を恥じた。

どうしても泳ぐ元気もでてこないままだけど、今晩はプールに寄ってみよう。

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