日曜日, 12月 07, 2008

ベトナム戦争とポスコ株

前回のブログで書いた食事会に60歳前後と思われる
韓国人のおじさんがいた。

ベトナム戦争に参加し

(韓国軍はベトナム戦争にアメリカ軍を
支援する形で参加していたそうだ。
韓国軍はベトナムで残虐の限りを尽くしたという説と
アメリカ軍よりもは、ベトナム人に優しく接したとう説の
両方を私は 読んだことがある。真実はわからない。)

そして、アメリカから支給された、兵隊への給与の多くは
韓国政府に徴収(ピンはね)されたと何かで読んだことが
あったのだが、その彼の話は違った。

なんと、最後にポスコ(世界有数の製鉄会社にして、技術力は
日本の製鉄会社と並ぶ、初期は日本から技術供与を受けていたが
あとは自力で、日本企業と十分競合できるレベルになったらしい)
の株として供与されそれをもっていたというのだ。

多くの韓国人は日本は戦後の賠償を約束どおり行わなかったと
思われているとも読んだことあるが、日本の払った賠償金の
多くは韓国の戦後の産業復興につかわれ、個々人には
支払われなかったと読んだことがある。
ポスコの そのお金をもっとも有効に使われた企業だと読んだことがある。

とすれば、ベトナム帰還兵に給与だか退職金のかわりに
ポスコ株で払ったというのは、そのとき韓国政府が払えるものとして
理にかなった粋な計らいをしたことなのかもしれない。

最初は紙切れだと思っていた、その株はポスコの
驚異的な成長とともに、何十億コリアンウォンの価値をもったそうだ。

そして彼は自分の作った会社でも成功を収めていた。

ところが、IMF危機(韓国の経済危機10年くらい前)で
彼の会社は手形決済がギリギリになり、
そのポスコ株は20分の1の価値となった。

彼は手形を決済するためそのポスコ株を泣く泣く売って
手形を決済したが、結局会社を維持できなかったらしい。

ポスコ株はその後また何十倍の価値となったそうだ。

彼はその後逃げるように日本に来たといっていた。

既に糖尿病で健康も害しているらしい。

その彼が僕にこう言ってくれた。

「私があなたくらい若ければまだ何でもできる。頑張ってくださいね。」

初対面の僕になぜそういってくれたのかわからないが、強い印象が残った。

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