水曜日, 3月 07, 2007

スポーツは勝つためにあるのか楽しむためにあるのか

なんて、簡単に結論でないことタイトルにしたりして。

実は、水泳は速くなりたいものの、仕事をやりながら、追い込むように
トレーニングしてしまうと、楽しいのレベルを超えてしまう。

でも、ハードにやらないと速くなれない。マスターズスイムのレベルは高いのである。
大体が楽しめないレベルのハードなトレーニングは健康にも良くないように思う。
それで、その辺のバランスをとって、エッチラオッチラやっていくことにしようかと。

最近のトレーニングの甲斐があって、50mくらいはダッシュできるようになってきた。
かなり嬉しい。スパートをかけられるだけの身体になってきた。それはとても嬉しかった。

でも楽しいということでいえば、子供達をスキーに連れて行って、
上の子が

「パパ見て」

というので何かとおもったら、ただ身体を大の字にして手を広げて山の自然を精一杯感じながら初心者なりに滑っているのをみたことと

下の子がスキー初めてなのに、異様に鋭いハの字ブレーキをかけるのを見ているときだった。

昨晩も上の子が、下の子のこと

「・・・ちゃん 不気味だよね」

というので、妹のことを不気味とはひどいこと言うなあと、注意して確認したら。
あんなに急なブレーキかけられるなんて不気味だよねえというのであった。
たしかに、いくらまだ小学校1年生で、体重も軽いにしても、初めての
スキーであんなにギュッととまれるブレーキがかけられるとはどういうことなんだろうか?

よく見ると、ハの字(プルークボーゲンとかいうのだろうか)になっているスキー板の
内側のエッジを鋭く立てているようだった。本人はわかっているのかどうかわからないけど、
ともかくえらく鋭いブレーキをかけて、初めてのスキーにも関らず、止まれることを武器に
滑りたいだけ滑って、スピードが出過ぎたら、ギュッと止まってまた滑り出す、ところを
見ているのも楽しかった。

やっぱりスポーツは楽しむほうがよさそうだなあ。でもそれだけでは勝てないなあ。

レベルの高い競技スポーツで勝てるくらいのレベルまでいける人は
何らかのオタク的な要素をもっているということなのではないだろうか。

僕の場合は、こんなに水泳好きなんだから、他の人よりもっと速く泳げないと
納得できないとか、そんな気持ち。でもそのために、身体壊してよいと思うほど
馬鹿にもなりきれなくなった。つまらないことに。

それでもスパートして、かなりのペースで泳いで、隣の高速コースで泳いでいる人に
追いつくことができたのは、楽しかった。 東京体育館のプールの高速コースは
レベルが高いので、僕も随分短期間で進歩したらしい。

苦しいんだか、楽しいんだかわからない。

嬉しいんだか、悲しいんだかわからない。

生きたいんだか、死にたいんだかわからない。(何、書いてんだか)

感情は相反するものを両方感じることで、それぞれの感情を知ることができるということなんだろうか。

スキューバダイビングしているときに僕も両手を広げて、海の中の全てを自然にリラックスして
感じられるようにしたことがある。それもとても楽しい経験だった。
これは、何かの苦しいものの対局にある嬉しさとは違う、ただ、ただ単純に楽しいことだった。

楽しみ、喜びには、誰かに勝てて嬉しいというような優越感に起因する相対的なものと
それとは関係ない、絶対的なものがあるということなのかな。

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