木曜日, 2月 01, 2007

高円寺は第二の故郷

昨晩、用事があって、中野に行き、そのまま歩いて、昔一人暮らしをしていた
東高円寺周辺まで歩き、昔よくいっていた ポパイという定食屋に10年以上ぶりに
よった。おやじさんは前より顔が少し細く、皺が増えていた。
しばらく僕の顔をみて

「もう子供は大きくなったかい?」

ときくので 僕は驚いて

「僕を覚えているんですか?」

ときいた。

あんまり懐かしくて、色々なものをたべたくなったけど、そうもいかないので、
牛肉、たまねぎ、ピーマン、しいたけ炒め定食と 切り干し大根、おひたし、を
頼んでとてもおいしくいただいた。

値段も昔と変わっていなかった。750円

他のお客さんたちは、ちょっと疲れてそうな、僕より年上にみえるおじさんの
一人客ばかり、昔のような若者が押し寄せガンガン食べるような活気はなかった。

口下手なんだけど、ときどき無性に声と話をききたくなるおじさんだ。

昔、一人暮らしをして、そのあと今の妻(といっても結婚は一回しかしてないが)
と同棲していた、ペントハウスみたいな不思議な部屋(大家さんの家の上に小さな一軒やがあるような部屋だった)はもうなくなっていた。大家さんが大きな家を建て直していた。

高円寺で一人暮らししていたときにいた場所にくると、あの頃はいまよりずっと
色々なことを考え、真剣だったんだなあと、胸に蘇るように思い出す。

失恋のあまりの喪失感の強さに3日間も眠れなくなったり。(ちょうどそのとき桑田バンドの
アイフィールザエコーだかがはやっていて、そのあまりの歌詞のまんまの状態に、
FMから流れる曲をききながら、起き上がれなくなっていた。それでも会社にはいっていた。

明け方までライブハウスで騒いで、寝ないまま、それでも会社にいくことをくりかえしていた。

とても可愛い女の子がその子の友達のことを僕にこんな風に紹介した。

「ねえ、あなた、一人暮らし始めたばかりじゃ寂しいだろうからとりあえずこの子と付き合いなさい。
枯れ木も山の賑わいよ。」

どうでもいいような会話でも僕はその自由な雰囲気にあこがれて、のめりこんでいったのに
サラリーマン生活だけは、転職繰り返そうが続けていた。

当事ライブハウスにいた自由人たちは、本当にいい加減に自由に生きている人が多かった。
それにもあこがれたのだけど、いい加減さに途中で自分と違いすぎるものを感じてダンダン
嫌になっていった。

タイに遊びに行ってきた男がコヒーを飲みながらいった。

「タイでは女がこのコヒーと同じ値段で買えるんだ。」

中年の男と若い(これまた綺麗な)女が急にこんなことをいっていた。

「明日から私達はジャマイカに2ヶ月くらいいってきます」

僕はその自由さに全身で憧れながら、無責任な根無し草のような
その人達の世界に入ることはなかった。

でもいわゆる、きっちり会社員をやっている堅気の人達にもいまひとつなじめなかった。

お偉いさんの秘書をやっている女の人が
僕が最初に一人暮らしをした風呂もないボロボロの埃が1cmくらい
つもっているアパートにくると

「あなたとは結婚できないとわかりました」

とか、いわれた。彼女の上品で綺麗な服(スカートの裾とストッキングに部屋の埃が
ついて汚れているのが かわいそうだった。
(だったら掃除しておけばよかったのはいうまでもない)

その子は掃除をしてから、2度とその部屋にくることはなかったのだが、
そもそも彼女の人生で、あんな部屋にくるような経験はなかったハズだ。

彼女はそれからあまりたたずに、学生時代からの付き合いのある
人と結婚したそうで、僕と彼女のことをしる唯一の共通の友人がそれを
僕に知らせたあとこういった。

「お前、遊ばれてたのか?」

俺って女に遊ばれちゃってたのか? でもあれなら遊ばれてたこと全然悔いないですね。

これが、高円寺で経験したことの、一部。

やっぱり高円寺は僕の第二の故郷だ。

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