日曜日, 2月 11, 2007

「進化しすぎた脳」を読んで

「進化しすぎた脳」

を読んだ。

面白い。著者が素晴らしく賢い人だということは僕にもわかる。
結局実際に優秀な人ほど、物事の本質をわかりやすい平易な言葉で
解説してくれる。

この著書の最初にかいてある「ファイマン物理学」こそ、その典型的な
書物なのだろう。

「進化しすぎた脳」での議論を読むとほとんどの心理学の本より
より具体的に科学的に心の本質にすら迫っているように見える。

それは具体的な脳の構造と動きから、心をその一部として解釈している
ような話し方をするからリアリティーをより高く感じてしまうからだろう。

ただ、意識や心が潜在意識や身体の奴隷に過ぎないという表現(今、手元に
本がないので、正確にそういっていたか自信がないが)に多少の疑問はわいた。

一時的に、短期的に考えれば、そうなのだろう、ところが、意識、心、さらに、
長期的な目標に基づいた意志により行動をコントロールしていけばそれによって
身体も潜在意識も変えらることもできるだろうから、そこまでいける人にとっては
やはり、意識や心が、潜在意識の奴隷と言い切れるのだろうか。

もっともこれだけ、賢い著者がこれだけ噛んで含めるように解説してくれていると
自分の疑問のほうがおかしいような気がしてきてしまうので、自信がもてないが。

僕がこの分野についての興味が高いのは2点の理由がある。

1つは、人間というのはそもそもどんなものかということに今一番、興味深く、説得力の高い説明をしてくれること。

もう1つは、自分のもともとの才能のなさを知る自分にとって、脳の研究資料を読むことは、
スポーツ選手が筋肉の生理学をトレーニングに活かそうする興味と似た興味をもてるということ。

おバカな僕ちゃんでも人並みの知能を持つにはどうすればよいの 教えて教えて、知りたい知りたい。

という興味ですね。

スポーツでも、勉強でも、仕事でも、自分より明らかに優秀な人や組織に、創意工夫、努力、
強い意志で勝てたり、他のやり方でより大きな成果を出せたとき、本当に嬉しいものです。
本当にたまにしかないけど。きっとそんなときこそ、自分の意識、心、意思、それを超えた
魂のようなものが、自分の身体と脳を実際以上の成果を出させたと感じられるからでしょう。

漫画でもそうですね。

「頭文字(イニシャル)D」だって、ライバル達より、性能の劣るマシンで公道レースで勝つところに
醍醐味があるのですから。

まあ、それも滅多におこせないことだから、見果てぬ夢にできるのでしょうね。

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